前回の「たまたま→自分の選択→運命」という私の出会い、出来事に対する捉え方のパターンに関連して、私の最初の居合の先生との出会いについてお話してみようと思います。
「教えない」先生とのたまたまの出会い
坐禅会と同じく、先生との出会いは全くたまたまでした。当時今ほど華やかではなかったインターネット上で居合道場の一覧表に載ってあった先生のお名前と連絡先、そして稽古場所。
たまたま家から一番近いこと、そして興味のあった流派であったことから連絡を取らせて頂き、見学。
見学後、先生は私に「ウチに来ても、ワシは教えへんよ」と仰いました。当時はその真意を全く理解出来ないで、私はそれでもお願いします、と入門を許していただいたのでした。
凄さを実感して意欲的に
「教えへんよ」と言われつつ、しっかり教わっていたと思います。確かに「なぜ」「どうして」みたいなことを論理的に丁寧に説明されることはありませんでしたが。
目の前で模範を黙って示され、「やってみろ」と黙って手を私の方に差し出し、私も先生の模範に倣って同じ形を抜く。先生は私の欠点を見せ、正しい動きをもう一度示される。これもやはり無言で。
先生のご存命中は、ひたすらこんな沈黙の稽古をつけて頂いていました。
ですが、理屈を捏ねずに体で先生の模範にぶつかっていったおかげで、どれだけ先生がされる模範の精度が高いのか、先生ご自身が凄いのか実感することが出来たように思います。
それが分かるようになってからは、直接言葉を交わさなくても、先生が何気なく口にされる言葉、取られる動作に細かく注意を向けるようになりました。
思えばこの時から、「自分の選択」で意欲的に稽古するようになっていたと言えるかもしれません。
いま、「運命」だったと思う
無言のやり取り、何気ない言葉や動作を通しての「教えへん」教えを授かったおかげで、その後、世界中で素晴らしい先生方と出会うことが出来ました。
ヨガのナクルも、ピラティスも、ワットポーのタイ古式マッサージの先生方も、坐禅の副御住職さまも。
教えを待っていたら、きっと先生方の本当の凄さに気付けずに終わっていただろうと思います。理屈を並べるだけでは、「自分の考えの方が正しいんじゃないか?」くらいの錯覚にさえ陥ってしまっていたのではないかとも思います。
ひたすら模範に倣い、聞き取れるちょっとした言葉やピンと来た動作に食らいついたからこそ、良い学び、良い出会いの機会に恵まれたと言えるのだと思います。
先生との出会いから15年。色んな場所、経験を経ていま「教えない」先生との出会いは、運命だったと思えます。
…
個人的な長話にお付き合い頂きましてありがとうございました。
たまに(かなり?)、その先生よろしく私のレッスンも沈黙の時間が生じることがありますが、ラクをしてる訳ではなく、無言で必死に何かを示そうとしているつもりですので、是非その示さんとするものを掴んで頂けましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
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