何者でもない私

ヨガとは、元々は心を、言い換えると自我の過剰な働きを滅するための自己鍛錬のメソッドでした。

私は、そうした古典的なヨガを教えてくれる先生に学んだおかげか、随分と「私」にまとわりつく肩書や地位、ステータスのようなものを気にしないというか、とらわれなくなって来たように感じます。

まずは、「日本人」というステータス。まあ、海外にそれなりの年数暮らした経験もあるので、パスポートが日本のものであるだけで、考え方や行動は必ずしも日本人的ではないなと自覚しています。

それから「社会人」でもないかと。私が関わるのは「社会」ではなく「一人一人のお客様」ですし、社会人らしい社交辞令や名刺交換もしなければ、所属する会社も機関も無し。

もっと言うと、ヨガ・ピラティスに関しても「先生」ぽくない。レッスンでも「こうしてください」という指導ではなく「こんなん、どうですか?」といった提案型のレッスンの進め方をする事が多いですからね。

そうやって自分で自分を突き詰めていくと、私にとっての私とは「何者でもない私」であることに気づきます。この事を英語では” I am that I am.”(私は私である者である)という言い方で表現することもあるようですが、それもアリかと。

言い方を変えてみると、「全てである私」と言う事も出来るかもしれません。

こう言った境地が、身体的な柔軟性や快適さとは違った、精神的な柔軟性と開放感をもたらしてくれる気がします。

あるがままの私」、というのも同じ意味なんでしょうね。

sv10s

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