坐禅会でしていただいたお話を少しみなさんにシェアさせていただこうと思います。
テーマは、「無責任のすすめ」。
人間、ある意味、無責任になることも必要なんじゃないか、というお話でした。
無責任、という言葉に、「けしからん!」とお思いの方もおられるかもしれません。
でもボクは、この方がメンタルヘルス上も理想的だし、結果的に色んな意味で前進を続けられるのはこっち(無責任になること)の方なんじゃないかな、と納得することしきりでした。
ただまぁ、言葉で「無責任のすすめ」とだけ言ってみても、無責任ってどういうこと?というのをご説明しなければ何も解りませんよね。
ということで、ボクが飲み込めた範囲でちょっと文章にしてみます。
自己責任に対しての無責任
和尚さんがすすめられた「無責任」とは、一言で言うと「自己責任」の反対の意味での無責任です。
現代社会では「自己責任」ということが色んな場面で強調されていますよね。
周囲から「何事も自己責任だ!」という考えを押し付けられることもあれば、自分で自分自身を責める形の自己責任っていうのもありますよね。
そうやって色んな責任を押し付けられて苦しんでいる、頑張っても自分の力ではどうしようもない...
そんな状況の時は、思い切って無責任になってみてもいいんじゃないの?
という場面での無責任のすすめ、であるとボクは感じました。
誰に対しても責任を押し付けない”無”責任
自己責任を放棄しちゃったら、一体その責任は誰に帰属するんだ?
仕事がまわらない責任は?思ったような結果が出ない原因は何なんだ?
というご意見もあるかもしれません。
でも、責任は誰かが必ず負わなければならない、のではなく、
誰に対しても押し付けない、
責任の存在そのものを”無”にしてしまう...
和尚さんのすすめる無責任は、そんな意味での無責任というのもあったと思います。
仏教的!?責任の落としどころ
上述のように、責任そのものを無にしてしまうことが出来ればそれでめでたし、なのですが、そういうことに出来ない場合はどうするのかというので、和尚さんが最後に出された例があります。ボク的には非常にほっこりさせられましたので、これもついでにご紹介しておきます。
それは、
- この道具はいわくつきで...
- あの場所は呪われているから...
- 占い・暦的には時期が悪いから...
そういうことにしておいて、自分を責めるのはやめよう、無責任になろう、というのであれば、それはすごく良い考えだと思いませんか?というものでした。
こう考えると、因縁とか呪いっていうのも、何か親しみのあるものに感じられさえしませんか?
ボクも無責任
最近のボクも、似たようなところがありました。
1月の仕事はかなり順調なペースでレッスンが入っておりました。が、2月に入って少しそのペースに翳りが出始めていたんですね。それについて原因の究明やら対策やら、何とか考え出して実行に移さないと!と思うところがありました。
でも、何がどうなったのか...いつの間にか居直ってる自分がいました(笑)
で、今日に至っては京都まで出て坐禅会に参加した。
周りから見れば無責任というか、現実逃避でしかないでしょう(笑)
でもそのおかげで、ボクは和尚さんから大変有り難いお話を聴くことができた。
自分のとるべき行動も、見えた。
- レッスンペースが落ちる、そういう時期なんだと割り切る
- この有り難いお話を読んでくださる皆さんにシェアする
- 自分を責めずに、出来た時間を活用して仕事の基礎固めをさらに徹底する
というあたりが、それです。
自分で何とかしようと頑張ってみたけどダメだった時、あえて無責任になってみることで、事態が進展することだってある、と思えるのです。
一般的に仏教や禅で説かれる「無の境地」というのを思い浮かべるとき、非常に難解で、近寄りがたいものをイメージすることが多いと思いますが、今回お話いただいた「無責任のすすめ」の無責任というのも「無の境地」の一つだと思うと、何となく親しみを感じるのはボクだけでしょうか。
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