つい先日、京都で座禅体験をさせていただく機会がありました。
お寺でキチンと座らせていただくのは、会社員時代に入れられた「座禅研修」以来で、随分久しぶりの経験でした。
そこで改めて感じた、お坊さんの息の長さ。
お坊さんが座禅をするにあたって、「いま」「ここ」に集中するために行う手法で「数息観」(すそくかん)というのがあります。
これは、自分の呼吸を「ひとつ、ふたつ、、、」と順番に一から十(上限はお寺ごとに、あるいは修行の段階に応じて変化)まで繰り返し数えて雑念を交えることなく座るためのものとされています。
これだけ聞くと、「なんだ、大したことない。そんなのお風呂で子どもだって数えてるよ」と思われるかもしれません。
ですが、実際にお坊さんの数息観の説明を受け、実際のお手本を見せていただいたら、その思い込みが完全な間違いであることを思い知らされるでしょう。
先にボクは、「ひとつ、ふたつ、、、」と書きましたが、お坊さんの数息観による呼気はもっとずっと細くて長くて、そして柔らかいものです。表現するなら、
ひとぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ...ふたーーーーーーーーーー...
くらいはあったでしょうか。
しかし、ただ細く長く息をしてその数を勘定するだけなら、単なる肺活量のトレーニングで終わってしまいます。水を張った洗面器にどれだけ長く顔をつけていられるか、を競うのと変わりありません。
数息観が単なる呼吸の勘定と違うと感じたところ、ちょっと言葉で説明するのが難しいのですが、それは上記「ーーーーーー...」の中に、
「一瞬」という瞬間と、そこに含まれる静寂とか平穏が最大限拡大されたような、そんなところがある。
ということでしょうか。
より解りやすく(?)表現するならば、プロスポーツ選手が時々使う「ボール(あるいは相手選手)がすごくゆっくりに見えた」というような表現に似た感じなのでしょうか。座禅なので、人や物がゆっくりに見えることはありませんが、それでも「時間」は何となくゆっくり流れているような感覚を覚えました。
この、非常に長い呼吸、肉体的にも精神的にも深いリラックス感をもたらしてくれます。
ボクは早速、自分の陰ヨガのお稽古にこの数息観を取り入れてみました。
精神的には、ポーズを取っている最中に感じる身体のムズムズ感、あるいは雑念というものに囚われることなく「腰が据わった感じ」で落ち着いてお稽古が出来るようになりましたし、
肉体的にも呼吸に合わせてゆっくりと少しずつ各ポーズの深さを調節し、より快適で安定した体勢を見つけることが出来やすくなった気がします。
座禅とヨガの、肉体面そして精神面での繋がりを体験できる良い機会をいただけたと思っています。
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