スピリチュアル」タグアーカイブ

沢庵和尚の教えから考えるトレーニングの在り方

バガボンドでの沢庵和尚の味のある言葉の数々に心うたれて、ついにリアル沢庵和尚がお書きになった『不動智神妙録』に目を通しました。

この書簡は、沢庵和尚が柳生但馬守に宛てたもので、仏法の立場から剣を説き、剣に生きる姿勢を説いた「剣禅一致」を説くものとされています。

確かに、兵法家として、そして為政者としての立場にあった柳生家が経験したであろう立ち合いという実戦の場、政治という実戦の場を想定した、極めて実戦的な心の置き方が記されています。

また、そうした実戦的な心の置き方を実践できるようになるまでのプロセスの一端も、わずかではありますが極めて核心をついたところが述べられています。

この『不動智神妙録』が、トレーナーにとって、そして武道でもヨガでも、あるいはどんなスポーツでも芸術でも、一心にその道を進む人にとってどんな意味があるのか、私が感じられた範囲でちょこっとシェアさせていただきます。

続きを読む

苦しみからの自由、無心

お客様がヨガによって心の苦しみから解放されるように手助けをするには...?

そしてまた、自分自身も居合によって心身を錬磨し、自身がそうした苦しみに取りつかれないようにするには...?

どうすればいいか。何が必要なのか。

そう考えた時に出て来たのが、禅で言うところの「無心」

ただ、その意味をよく解っていなかったので、参考のために読んだのが本書「無心ということ」でした。

無心とはこういうことだ、という、数学的な一つの解を示すものではありませんが、自分の無知から来る、無心に対する誤った思い込み、というものを払拭する非常にありがたい経験となりました。

とはいえ、まだ完全に本書の内容を理解した、というか自分自身で体験した(理解よりもむしろこちらが重要)訳ではありませんので、今後、折にふれ読み返す必要がありそうです。しかし、現時点で納得できる部分から、ストレス社会で生きる多くの日本人が何とかその心の安寧を保つのに役立つであろうと思われる箇所をかいつまんで、以下、ご紹介させていただきたいと思います。

苦痛を生む対立(二元論)の世界
私たちが心に苦しみを抱えてしまう理由、それは、物や目的などの頭に「自分の」という、いわば「我」(が)を作り上げてしまうことにあると著者は言います。

自分の主張、自分の目的、「自分の」という意識を強めれば強めるほど、「自分以外」の存在がよりクッキリと姿を現します。

自分のものとは異なる主張に対して喧嘩腰になって怒りの感情が湧くし、自分の思い描いていた目的が達せられないとガッカリして落胆します。結果、それらの感情に苦しむ、ことになります。

この、「自分」と「自分以外」の対立の世界に迷い込まないようにするために、お釈迦様の教えのエッセンスでもある苦しみからの解脱、といったものに重要な役割を担うのが、無心ということになります。

自然の無心、動物の無心、人間の無心
恥ずかしながらボクは、無心といったら「心をスッカラカンにすること」と長い間考えていました。結跏趺坐を組んで目を閉じて、一切の思考を抑えて「頭を停電させたような状態」にすることだと、昔は思っていました(Nakulからヨガを習うにつれてそのような誤解は次第に無くなっていきましたが。)

著者は、無心について「はからい」をやめる、という言葉を用いて表現されていました。「はからい」というのは、効用とか功徳、効能や能率といったものを考えて、その考えどおりの結果を出すように取りはからうこと、です。苦しまないためには、そこに執着するな、と。

そして、そうした「はからい」を持たない無心の一種として、自然の無心動物の無心というのを例にあげています。

自然の無心というところでは、火、風、太陽などを例に出して説明しています。たとえば太陽だったら善人も悪人も関係なく、誰にも平等に光をもたらしますよね。「はからい」はありません。そういった、自然法則というか物理的な法則に基づく無心が、この自然の無心。ボクの『無心の水菜』は、この自然の無心の賜物だったのかもしれません。

 

動物の無心は、いわゆる本能というヤツです。善悪の判断をせずに他の生物を捕食し、子孫を残して、満足とも不満とも言わず思わず、死んで行く。

しかし、いくら「はからい」を取り除くことが出来るからといって、完全に自然の無心のような機械的な無心、あるいは動物的本能的な無心になりきってしまうことを、著者は肯定しません。

道徳や義務といった重要な人間的心を保ったままで「天地の心を表すこと」が人間的無心である、と筆者は説きます。

「はからい」を取り除きつつも、道徳や義務といった人間的心の「重要なもの」を選別する、というのは理屈で考えると確かに矛盾しています。

それでも人間として最も自然な無心の境地を体得し、心の苦しみから真に解放されるには、あえてその矛盾を強行突破することも、今後は必要な選択肢となってくるのではないでしょうか。

本来、体験で「体得」するべきものを、そして言葉で語ろうとすると必然的に矛盾が発生してしまうものを、このように文章であらわすということで、いささか混乱をさせてしまったかもしれません。

ただ、

  • 強すぎる「自分の」というこだわりは、苦しみの元凶となる、ということ
  • 「はからい」をやめること
  • 論理的な矛盾を気にしないこと

を心にとどめておくことが、無心の境地に入り、心の苦しみから解放されるヒントとなりうるというのは、確かだと思われます。

この点を実体験として経験していただき、心からリラックスしていただけるヨガの出張レッスンをお届けします。

ブログランキング参加しています。清き1クリックいただけると嬉しいです。

ヨガ・ピラティス ブログランキングへ

無心ということ (角川ソフィア文庫)/鈴木 大拙

¥740
Amazon.co.jp

ティク・ナット・ハン師の『怒り〜心の炎の静め方』

ヨガでは、怒りの感情をいかにコントロールするか、という事を非常に重要視します。

ヨガで行うポーズや呼吸、そしてメディテーション(瞑想)も、根本的にはそうした怒りを含むあらゆるネガティブな感情から解放されて自由になり、真の幸福を得ることを目的とするものです。

実践する仏教の提唱者、ティク・ナット・ハン師の『怒り〜心の炎の静め方』は、ヨガにも通ずる、怒りをはじめとするネガティブな感情をいかに静め、真の幸福を掴むべきか、あるいはネガティブな感情に苦しんでいる自分以外の人をいかに幸せに出来るか、その方法を学ぶ上で非常に参考になる一冊でした。

以下、本書からボクが学んだ事を、

  • 怒りはどのようにして生まれるのか
  • 怒りにはどのように向き合うべきか
  • 怒りに対処するには、具体的に何が必要で、何をするべきなのか

の順番に、理解した範囲でまとめてみました。

怒りはどのようにして生まれるのか

著者によると怒りは、

  • 「怒りの種」に水をやるような、負の習慣的なエネルギー
  • 誤った解釈、認識

によるものだそうです。

よく怒る、暴力的な人がたくさんいるような環境に身を置いていると、習慣的に自分自身も怒りのスパイラルに巻き込まれて、無意識的に怒りに流され、暴力的な反応をしてしまいがちになります。

また、何か身の回りで起こっていることに対して客観的に見ないで、自分の誤った主観で捉えてしまうと、誤解は怒りの炎をどんどんと大きなものにしてしまいます。

怒りにはどのように向き合うべきか

では、そうした怒りが発生してしまった時にどのように向き合うべきかというと、仏教的立場から著者は、非二元論自分を偽らない姿勢で向き合うということを提唱しています。

非二元論とは、怒りを打ち破るべき敵と見なすことなく、自分自身を、善と悪と闘う戦場にすることなく、喜びを受け入れる時と同じ気持ちで向き合いましょう、という考えです。

さらに、怒りの感情を持った時は自分を偽ってはいけない、とも説いています。人は怒りに支配されている時に限って、「いいや!私は怒ってなんかいない!」とか「私は一人で十分!誰もいなくていい!」と言ってしまいがちです(その昔は、ボクもこんな事を思っていたし、人にも言っていました。思い返せば、当時のボクも怒りに支配されていた、ということでしょうか...)。

だけど、本当にあなたの事を助けたいと思ってくれている人にはこう言いましょう、と仰っています。

「私は怒っています、苦しんでいます。」

「私を助けてください。」

と。

ボクはなぜかこの部分を読んだ時、涙が溢れるのを止められませんでした。こんな言葉は、強がりではない、本当の心の強さを持った人にしか口に出来ませんからね。その重みを何となく感じたからの涙だったのかもしれません。

怒りに対処するには、具体的に何が必要で、何をするべきなのか

そして最後に、具体的に自分の、あるいは誰かの怒りを受け止めるために何が必要なのか、何をするべきなのかという問題です。怒りを認識するために、

  • 気づき
  • 洞察
  • 理解
  • 思いやり

が必要であるとされています。

自分自身の怒りを認識するには、気づきと洞察および理解が、誰かの怒りを認識するためには思いやりと洞察と理解が、必要となるでしょう。

それらの要素を養うための具体的手段が、

  • 呼吸
  • 歩行
  • 瞑想

です。これらを実践することで気づき、洞察、理解、思いやりを養うと同時に、怒りという”心のしこり”に心のマッサージを施すことが出来る、とのことでした。

自分のレッスンに置き換える

本書を読んで、著者の素晴らしい教えを自分のヨガピラティスのレッスン、タイ古式マッサージに置き換える方法も、考えてみました。

まずは、二元論で自分を偽ることなくレッスンをしていただく環境づくり。

  • 優劣や正誤、上下を周りと比較することなく、形はどうあれ、今その瞬間に、気持ちいい、効いてる、と感じていただけるメニューを存分に味わっていただく。
  • キツい時はガマンせずキツい!と言っていただけるコミュニケーションづくり。

それから、

  • お客様がご自身の心と体と真っ直ぐに向き合っていただけるような、意識的な動きのガイド

といったところを、今後さらに深めて行きたいという思いを深めました。

もしも、

「私は怒っています、苦しんでいます。」

「私を助けてください。」

とボクを頼ってくださるお客様がいらっしゃった時に、そのようなお客様を全力でサポートさせていただくためにも。

ブログランキング参加しています。清き1クリックいただけると嬉しいです。

ヨガ・ピラティス ブログランキングへ

怒り(心の炎の静め方)/ティク・ナット・ハン

¥1,300
Amazon.co.jp

Seed Training シードトレーニング ヨガ 陰ヨガ yoga yin 自宅出張 初心者 個人レッスン 尼崎 兵庫 大阪

“快適”を求めて〜sthira sukham asanam〜

ボクの自宅出張レッスン/個人レッスンにおける基本スタンスは、

完璧でなくて良いから、快適に感じるように行ってください

というものです。

どういう事かご説明するために、ヨガを例に出してみましょう。

取り上げるのはコブラのポーズ。

まずはこの写真。スタジオでの貴方の先生方、あるいは雑誌や本、DVD等で有名な先生方やモデルさんがこのような美しいポーズを取られていると、どうしても「これが完璧」で、私たちはここに到達しなければならない、そんな気になるのではありませんか?

ところが、これが落とし穴で、自分の体のコンディションに目を向けずにガムシャラに完璧を目指そうとすると、健康と癒しを得るためのヨガやピラティスで、かえって体を痛めつける結果にもなってしまいかねません。

この点について、ヨガの先人はこんな言葉を遺してくれています。

sthira sukham asanam

姿勢(ヨガのポーズ)は一定で、快適なものでなくてはならない

いくら本やDVDのデモと同じ形に近づいてみても、腰や首に激痛が走ったり、呼吸が苦しくなるようでは、残念ながらそれは貴方のポーズではありません。

見た目よりもまず、貴方が快適に呼吸ができ、ピタッとそのポーズを保ち続けられるポイントを見つけることの方が、ヨガやピラティスを行う目的である健康促進、癒しといった効果を引き出すためには重要です。

たとえば、このコブラのポーズであれば、こんなモディフィケーション(変化)が考えられるでしょう。

スフィンクスのポーズ(ブロック補助付)。手ではなく前腕で体を支え、さらに首が辛い場合はブロックに額を置けるようにします。

ピラティスにしても同じです。骨盤を立てて背中を真っ直ぐに保つためには、必要であればブロックやクッションを使ってその上に座っていただきますし、あるいは仰向けになってエクササイズを行っていただく場合もあります。

Seed Trainingではyoga worksさんのブロックを使用させて頂いております。

雑誌や本、DVDの独学では、初心者の方はこのあたりの微妙な「さじ加減」が難しいのではないでしょうか。

また、スタジオでレッスンを受けた事のある方では、周りの「できる人」を見て、自分もそれに合わせようと無理をした、という経験がある方も少なくないのでは?

もし「完璧」を求めるとするならば、それは

完璧な快適性

であるべきだと思うのです。

独学で頑張っていらっしゃる方やスタジオでお稽古されている方で、これまで完璧を求めて頑張って来られた方には、この記事が、安全で効果的な「完璧な快適性」というものを考えていただくきっかけとなれば幸いです。

合掌

Seed Training(シードトレーニング)の自宅出張レッスン/個人レッスンは、お客様とボクとのマンツーマンレッスン、またはお客様と気心の知れたご家族、ご友人だけのセミプライベートレッスンなので、周りの人に合わせようと無理をする必要は全くありません。徹底して快適に感じていただけるメニュー作りを行い、一番の目的である、心と体の健康と癒し効果を引き出すことにこだわります。

もし阪神間にお住まいの方で、ヨガピラティスを始めてみようとお考えであれば、是非Seed Trainingの出張レッスン、ご検討いただけると幸いです。

←お問合せ、ご質問等はこちらからどうぞ。

ブログランキング参加しています。清き1クリックいただけると嬉しいです。

ヨガ・ピラティス ブログランキングへ

陰(いん)ヨガの”陰”について...

「陰(いん)ヨガの”陰”って、なんか暗いイメージがあるよね...」

日本に戻ってからよく聞くこんなご意見について、少しご説明させていただきますね。

結論から先に言ってしまうと、確かに陰ヨガの属性を明と暗で言うならば、暗です。

ただし、「暗」→「悪」

と繋げてしまうのは、正確ではありません。

陰と陽は、あくまで属性であって善悪とは関係ありません。

おそらく日本では、「陽気に楽しく」とか「あの人は陰気な人で何を考えてるんだか...」みたいな使い方をするうちに、「陽」→善、「陰」→悪という風に結びつけられてしまったのでしょう。

ところが実際は、もう一度言いますが陰と陽に善悪は存在しません。

あくまで、あらゆる現象や存在を構成する要素、属性(カテゴリー、と言えばいいでしょうか)なのです。

そして、人間の肉体と精神もまた、陰と陽の双方の要素が存在してはじめて成立し得るのであって、どちらか一方のみ、陽気のみでは存在しえないのです。

陰ヨガとは、そうした思想に基づき、

  • 静かで、受動的で、内向的な「陰」の技法により、
  • じん帯等の結合組織、すなわち「陰」の組織にアプローチすることで、

私たちの肉体と精神それぞれの陰陽のバランスを最適な状態に整える

ことを目的とするヨガなのです。

静かに、

反動をつけたりせずに、ゆっくり、じっくり、

自分の心と体の声に全神経を集中させて行うヨガ。だから、『陰』

どうでしょうか?陰ヨガの”陰”の字が持つ真実のメッセージ、お受け取りいただけたでしょうか?

最後にもう一つだけ、日本の伝統文化の先人からの引用をご紹介させていただきましょう。

「一切は、陰陽の和するところの境を成就とは知るべし」(風姿花伝)

現代生活では、『陽』に偏りがちなこの心と体。陰ヨガを通してバランスの取れた『陰陽の和するところ』、目指してみませんか?

合掌

sv10s

Seed Trainingのプライベート/セミプライベートレッスンは、陰ヨガ以外にも

を、Seed Trainingスタジオまたは自宅出張の形で提供させていただいております。

自宅出張/個人レッスンのご質問/お問合せはこちらから、お気軽にどうぞ。

*自宅出張/個人レッスンご契約前の初回相談(若干体験も可)は無料でお受けいただけます!

Seed Training シードトレーニング タイ古式マッサージ 予約 自宅出張 尼崎 兵庫 大阪

090-6756-5136

(レッスン中、移動中、施術中は電話に出られないこともございます。ご伝言をいただければ折り返しお電話させていただきます)

ブログランキング参加しています。清き1クリックいただけると嬉しいです。
 にほんブログ村 健康ブログ ヨガへ
にほんブログ村