ヨガでは、怒りの感情をいかにコントロールするか、という事を非常に重要視します。
ヨガで行うポーズや呼吸、そしてメディテーション(瞑想)も、根本的にはそうした怒りを含むあらゆるネガティブな感情から解放されて自由になり、真の幸福を得ることを目的とするものです。
実践する仏教の提唱者、ティク・ナット・ハン師の『怒り〜心の炎の静め方』は、ヨガにも通ずる、怒りをはじめとするネガティブな感情をいかに静め、真の幸福を掴むべきか、あるいはネガティブな感情に苦しんでいる自分以外の人をいかに幸せに出来るか、その方法を学ぶ上で非常に参考になる一冊でした。
以下、本書からボクが学んだ事を、
- 怒りはどのようにして生まれるのか
- 怒りにはどのように向き合うべきか
- 怒りに対処するには、具体的に何が必要で、何をするべきなのか
の順番に、理解した範囲でまとめてみました。
怒りはどのようにして生まれるのか
著者によると怒りは、
- 「怒りの種」に水をやるような、負の習慣的なエネルギー
- 誤った解釈、認識
によるものだそうです。
よく怒る、暴力的な人がたくさんいるような環境に身を置いていると、習慣的に自分自身も怒りのスパイラルに巻き込まれて、無意識的に怒りに流され、暴力的な反応をしてしまいがちになります。
また、何か身の回りで起こっていることに対して客観的に見ないで、自分の誤った主観で捉えてしまうと、誤解は怒りの炎をどんどんと大きなものにしてしまいます。
怒りにはどのように向き合うべきか
では、そうした怒りが発生してしまった時にどのように向き合うべきかというと、仏教的立場から著者は、非二元論と自分を偽らない姿勢で向き合うということを提唱しています。
非二元論とは、怒りを打ち破るべき敵と見なすことなく、自分自身を、善と悪と闘う戦場にすることなく、喜びを受け入れる時と同じ気持ちで向き合いましょう、という考えです。
さらに、怒りの感情を持った時は自分を偽ってはいけない、とも説いています。人は怒りに支配されている時に限って、「いいや!私は怒ってなんかいない!」とか「私は一人で十分!誰もいなくていい!」と言ってしまいがちです(その昔は、ボクもこんな事を思っていたし、人にも言っていました。思い返せば、当時のボクも怒りに支配されていた、ということでしょうか...)。
だけど、本当にあなたの事を助けたいと思ってくれている人にはこう言いましょう、と仰っています。
「私は怒っています、苦しんでいます。」
「私を助けてください。」
と。
ボクはなぜかこの部分を読んだ時、涙が溢れるのを止められませんでした。こんな言葉は、強がりではない、本当の心の強さを持った人にしか口に出来ませんからね。その重みを何となく感じたからの涙だったのかもしれません。
怒りに対処するには、具体的に何が必要で、何をするべきなのか
そして最後に、具体的に自分の、あるいは誰かの怒りを受け止めるために何が必要なのか、何をするべきなのかという問題です。怒りを認識するために、
- 気づき
- 洞察
- 理解
- 思いやり
が必要であるとされています。
自分自身の怒りを認識するには、気づきと洞察および理解が、誰かの怒りを認識するためには思いやりと洞察と理解が、必要となるでしょう。
それらの要素を養うための具体的手段が、
- 呼吸
- 歩行
- 瞑想
です。これらを実践することで気づき、洞察、理解、思いやりを養うと同時に、怒りという”心のしこり”に心のマッサージを施すことが出来る、とのことでした。
自分のレッスンに置き換える
本書を読んで、著者の素晴らしい教えを自分のヨガ、ピラティスのレッスン、タイ古式マッサージに置き換える方法も、考えてみました。
まずは、二元論で自分を偽ることなくレッスンをしていただく環境づくり。
- 優劣や正誤、上下を周りと比較することなく、形はどうあれ、今その瞬間に、気持ちいい、効いてる、と感じていただけるメニューを存分に味わっていただく。
- キツい時はガマンせずキツい!と言っていただけるコミュニケーションづくり。
それから、
- お客様がご自身の心と体と真っ直ぐに向き合っていただけるような、意識的な動きのガイド
といったところを、今後さらに深めて行きたいという思いを深めました。
もしも、
「私は怒っています、苦しんでいます。」
「私を助けてください。」
とボクを頼ってくださるお客様がいらっしゃった時に、そのようなお客様を全力でサポートさせていただくためにも。
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