秋月悌次郎にあこがれて

スタジオご利用のお客様は既にご存知かと思いますが、私は福島県会津地方の風土や工芸品などが大好きです。それだけではなく、旧会津藩の人物にも、関心を寄せる人がたくさんいます。

旧会津藩の人物には、明治になって教育に携わった人が多いのですが、そうした人の中で個人的に一番憧れるのが、秋月悌次郎という人です。

会津藩時代には公用方という、今で言う外交官のような役職に就き、明治になってからは漢文を中心とした科目を教える教師を勤めたという人物です。

全く有名ではないと思うのですが、それがなんと秋月を主人公とした歴史小説があると知り、思わず手に取ってしまいました。

その秋月は存命中、ある有名人と交流があり、人となりを「神様のよう」とまで絶賛されています。

ある有名人とは、作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)

熊本の学校で一時期ともに教員として勤めていたようで、ハーンにとって秋月の印象は忘れがたいものだったようです。

ハーンは片言の日本語で何とか秋月とコミュニケーションを図った中で、秋月が武士として文武両面のあらゆる職務を担ってきた、当時としても稀有な経歴を持つ教師であり、単なる教員ではない、学生を慈しみ、自然と学生たちから敬われるような、漢文・儒学の体現者であることを実感したようです。

ハーンが秋月の印象を綴った部分がある『九州の学生とともに』には、ハーンに長男が生まれた時、秋月が小さな美しい盆梅、直筆の巻物等をお祝いに持参したエピソードが書かれています。

秋月先生が帰ってからも、盆梅を見るたびに先生を思い出す、聖なる老人の思い出だけがこの部屋に残っている、ってハーン、秋月先生大好きですね。

そう言う私も、こんな先生なら憧れますが。亡くなった居合の先生方(過去記事『「教えない」先生との出会い』にリンク)はそんな感じだったかな。あとは、聖なる老人と言うとロードオブザリングのガンダルフも大好きです。

講釈を受けなくても、ただ一緒にいるだけで感化される。学びになる。そんな先生。

願わくば自分もそういうおじいさんになりたい。

世の中にはお年寄りに対して「老害」なんてキツい言葉もあるようですが、ヨガや居合の稽古を続けて、なんとか、聖なる老人になれないもんかなあ。あと20〜30年くらいで。


sv10s

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