伝統文化」タグアーカイブ

Seed Training シードトレーニング 長洲貴布禰神社 パフォーマンストレーニング 尼崎

おそらく世界初!?「秋祭り」のトレーナー

毎年9月中旬から10月上旬にかけて、ボクの地元では小田太鼓祭という秋祭りがあります。

ボク自身も、近所の長洲貴布禰神社のお祭りに参加し、今月のお休みは、その秋祭りに合わせる形で取らせていただきました。

お祭り当日は、神社専属(?)の撮影係として動画と写真をこれでもか!というくらいに撮りまくっておりました(その成果は、こちらからご覧いただけます)

ですが、お祭り当日に至るまで、ボクにはもう1つの役目がありました。

それは、撮影よりももう少しだけ、トレーナー的な役目。

後でいくつか動画をご紹介させていただきますが、そこで繰り広げられる、

  • 太鼓のたたき手への演技中のアドバイス
  • 太鼓を担ぎ上げる動作のアドバイス

という点で、ボクの太鼓たたき手、担ぎ手としての経験、そしてトレーナーとしての身体や運動に関する知識に基づく意見を少々採用していただきました。

太鼓のたたき手には、特に今年はじめて演技を叩く子たちを中心に、全身を使った「見せる」太鼓の叩き方や、危険度の高い「横倒し」の際の受け身の取り方を。

担ぎ手のみなさんには、腕で太鼓をさし上げた時、さらにその状態から太鼓を上下に練る時の身体の使い方を(具体的には、腕は伸ばしたまま、腰と膝で支える、あるいは押し上げるという動きになりますが)、指揮者の方々を通して全員に徹底するようにしていただきました。

まぁ、首脳陣の皆さんも薄々わかっていらっしゃった事なので、ボクが口を挟んだ事なんていうのは、ほんのちょっとした微々たる事、に過ぎないのですが。

ただ、こんな風にどこにでもありそうな「秋祭り」に身体、運動理論を持ち込んでガチンコでサポートするトレーナーっていうのは、おそらくボクが世界初!?

ちなみにこの小田太鼓祭、お昼の演技では「最優秀賞」というのが授与されるんですが、長洲貴布禰神社、2年連続の受賞を賜りました。

トレーナーの実績に、「長洲貴布禰神社 2012年最優秀賞受賞」みたいに加えてみましょっか?(笑)

こんな感じで、たとえ対象がどんなものであっても、自分の持てるヨガ・ピラティス・フィジカルトレーニングや武道の知識と経験を駆使して、一歩先のパフォーマンス実現へのお手伝いをさせていただく、Seed Training太田ゆきのぶです。

普通のトレーナーさんなら「えっ!?」って思ってしまうようなスポーツ・アクティビティー・アート・伝統芸能/行事等のパフォーマンスアップでお悩みの方、ぜひ一度ご相談くださいませ。

出張レッスンの詳細は、こちらから。

お申込み/お問合せはこちらからお気軽にどうぞ。

090-6756-5136

(レッスン中、移動中は電話に出られないこともございます。ご伝言をいただければ折り返しお電話させていただきます)

ブログランキング参加しています。清き1クリックいただけると嬉しいです。

メディテーションとパフォーマンス維持

スポーツやアートのパフォーマンス中、いかに自分のパフォーマンスを最初から最後までキープし続けるか?

これって、じつはよくよく向き合わなければならない、とても重要なポイントではないでしょうか。

ボク自身、最近、持たせていただく一日のレッスンの数が徐々に増えてきたことから、一日通して自分の指導パフォーマンスをキープすることの大切さを痛感するこの頃です。

ボクの中でネックだと思っているのは、体力面や技術面のことではありません。現時点では健康な30歳ですので(笑)、それらを問題だと感じることはないし、仮にそこが問題だと思えば、それらはフィジカルトレーニングや技術のお稽古でいくらでもカバーできると思っているからです。

それよりも、長期戦や多くの数をこなす必要のある仕事、運動を行う際にネックとなるのは、精神面での一定性だと感じるのです。

ここが脆いと、たとえ体力に余力が残っていても一気にパフォーマンスは低下してしまう気がします。

ボクはカナダにいた頃、毎週地元のMTBのレースに参加していたのですが、自転車に乗って山の登り坂をひたすら上がっている時、

「もうそろそろ下りに入るかな?あとどれくらい続くんだろう...?」

と、まだまだスタートしたばかりで体力的にも全然余力が残っているはずなのに考えてしまうことが、しばしばありました。

そんな事を考えた時は、途端に、何とも思わないような小さな疲労が重く心臓に(もしくは脚に)のしかかって来てダメになったものですが、こんな経験、ハイキングやマラソンをやる人は経験ありませんか?

心、集中力を一定に維持する、そんなトレーニングは存在しないものか?

そんな時こそ頼りになるのが、東洋の叡智、ヨガの叡智、すなわち坐禅メディテーションではないかと思います。

黙って坐るだけ、と思われがちですが、以下の事を意識しながら実践すれば、パフォーマンス中に心や集中力を途切れさせることなく一定に保つことも、不可能ではありません。

①Be present(「今」という瞬間に集中する)

黙って坐っていると、色んな考えが浮かんできます。「あの時こうしていれば...」という過去への執着だったり、「あれも、これもしなければ...」という未来への焦りだったり...

Be presentというのは、何もそうした考えを「悪いものだ!」と否定したり、打ち消そうとすることではありません。

そうした過去や未来への様々な思いが沸き起こっても、それらと距離を置くようにしながら坐りましょう、ということだとボクは解釈しています。過去にも未来にもとらわれない自分の居場所は、「今」しかなくなっちゃいますよね?

この心の持ち方を坐禅やメディテーションを通して身につければ、パフォーマンス中にミスをしてもそれに引きずられることがなくなるだろうし、先の展開に気を取られてしまうことも少なくなると思うのですが、どうでしょう?

②呼吸・姿勢を一定に

心の乱れが体と技の乱れを生み出すように、体が乱れると心も乱れてしまうものです。呼吸と姿勢を一定に保つことで、心も揺らさず一定に保つことが出来るようになります。

坐禅では「数息観」という、呼吸の数を数える修養法がありますし、ヨガでもプラナヤーマと呼ばれる調気法、呼吸法は、坐った状態で一定のペースで呼吸を行います。

筋トレや技術トレーニングとは違った方法で、体や技術から心を一定に保つために働きかけるアプローチと言えると思います。

坐禅やメディテーションの意義がもっと見直され、あらゆる分野で活躍する人にとって有用なメンタルトレーニング方法として認識されることを願って止みません。

ボク自身も、以上の2項目に沿ったメディテーションをしっかり行って、常にお客様にベストなレッスンをしていただけるように指導パフォーマンスを維持していこうと思います。

ブログランキング参加しています。清き1クリックいただけると嬉しいです。

Seed Training シードトレーニング ヨガ ピラティス タイ古式マッサージ 自宅出張 個人レッスン 尼崎 兵庫 大阪

Seed Trainingの種まき〜その2〜

以前も同じような記事(Seed Trainingの”種まき“)を書きました。

なぜボクが自分の事業名を”Seed Training”(シードトレーニング)と名乗ったのか。

その時は、これまで一般的ではなかった、お客様のご自宅にお邪魔して行うヨガ・ピラティスの個人レッスンを当たり前のものにする、一部の人だけではなくみんなのものになるようにする、そのための”種まき”という点を述べさせていただきました。

今日少しお話させていただく自分の事業名を”Seed Training”と名付けた2つ目の理由、それは、

ボクがレッスンを通してお伝えさせていただく内容が、核心というか本質というか、そういう所を突くもので、どれだけ時間が経っても一人一人のお客様の心の底にしっかり残るものであるように、という思いです。

まるで土の中に眠る”種”が、どれだけ時間が経ってもいつか必ずそこから花を咲かせるように。

このようにボクが思えるようになったのには、2人の偉大な先生の存在があります。1人は居合の盛喜巳雄先生、もう1人がボクのヨガティーチャートレーニングを指導してくれたNakul Kapur先生です。

どちらの先生も、具体的なお稽古内容は、微に入り細にわたるきめ細かな指導というよりは、悪く言えばしつこく(スミマセン)、良く言えば根気よく粘り強く、同じ事を同じ言葉で、何度も繰り返し見せて指導してくれる、そんなスタイルが特徴でした。

そこには、昨今もてはやされる系統立ててメソッド化された指導スタイルや、感情・モチベーションを煽ったり刺激したりする要素は一切ありませんでした。

だから、これらのお稽古が心躍る、ウキウキ、ワクワクするようなおもしろいと思えるものであったかどうかというと、正直に言えば、No.でした。

それでも、この2人の先生の元でのお稽古が無駄だったかというと、それもまたNo.です。

何故かというと、この2人の先生から教えていただいた事というのは何年経っても心の中に残っていて、困難な状況に陥った時に、必要に応じて自然と出て来てくれるから、なんですね。

解りやすい例で言うと、居合でスランプに陥った時の事です。なかなか解決策が思いつかずに悩みながら自分で試行錯誤したり、先輩方のご意見を伺ったりしていると、そこからふと、「そういえばあの時、盛先生はこんな事を...」みたいに思い出すことがあるんです。で、思い出したことに従って身体を動かしてみると、案外あっさり問題が解決したりする。

運動をされる方でこういう経験って、ありませんか?

ボクはこういう経験が結構あるんですが、その度に「あぁ、盛先生は5年間で必要な事は全て教えてくださっていたんだ」ということを実感します。

盛先生は、ご自身の団体を『真傳居合道連盟』(真を伝える、という意味)と名付けられましたし、Nakul先生も”Authentic”(本物)なヨガ、ということをしきりに強調されていました。

レッスンを終えてその場でスッキリ!というのも勿論良いし大切なことだと思いますが、そのお客様のその後のお稽古を、もっと欲を言えば生涯を支えられるような”種”を埋めることが出来れば...

その思いで、ボクも地味だけど虚飾のない真の、本物のヨガピラティス/フィットネストレーニングをお届けにあがります。

タイ古式マッサージも、自分の”今”のコンディションがわかる、”今”の体の使い方に気を回していただけるような、そんなきっかけになるマッサージをお届けしたいと思います。

今後ともSeed Training、よろしくお引き立ての程をお願いいたします。

ブログランキング参加しています。清き1クリックいただけると嬉しいです。

ヨガ・ピラティス ブログランキングへ

沢庵和尚の教えから考えるトレーニングの在り方

バガボンドでの沢庵和尚の味のある言葉の数々に心うたれて、ついにリアル沢庵和尚がお書きになった『不動智神妙録』に目を通しました。

この書簡は、沢庵和尚が柳生但馬守に宛てたもので、仏法の立場から剣を説き、剣に生きる姿勢を説いた「剣禅一致」を説くものとされています。

確かに、兵法家として、そして為政者としての立場にあった柳生家が経験したであろう立ち合いという実戦の場、政治という実戦の場を想定した、極めて実戦的な心の置き方が記されています。

また、そうした実戦的な心の置き方を実践できるようになるまでのプロセスの一端も、わずかではありますが極めて核心をついたところが述べられています。

この『不動智神妙録』が、トレーナーにとって、そして武道でもヨガでも、あるいはどんなスポーツでも芸術でも、一心にその道を進む人にとってどんな意味があるのか、私が感じられた範囲でちょこっとシェアさせていただきます。

続きを読む

五輪書的トレーニング

少し時間が出来たので、久しぶりに宮本武蔵の『五輪書』を読み直してみました。

この『五輪書』は、晩年の武蔵が二天一流(武蔵が立てた剣の流儀)の概要とその心を遺すべく綴ったもので、五輪の名のあらわす通り、地、水、火、風、空の全五巻からなります。

この五輪書の特徴をボクなりに表現させていただくと、
非常に実践志向でストレート

と言う事ができると思います。

さらに、ボク的にはこの同書の実践志向の部分がそのまま、現代のトレーナーやアスリートといった人たちにも(もちろん、そうじゃない一般のフィットネス愛好者の方にも)応用可能であるように思えるのです。

という事で、今回は『五輪書的トレーニングのすすめ』と題しまして、五輪書のトレーナーやアスリートへの応用の可能性について、少し書いてみようと思います。

ただし、一部で主張されている通り、古武術的なテクニカルな身体動作をそのままスポーツに利用する、というのは簡単ではないし、無理があるとさえ言うことができるかもしれません。

ですので、ボクの考える応用というのは、皆さんのされているスポーツをベースにして、そこに五輪書で書かれている主張や具体的な心の持ち方を重ねる、という事を前提としてお話させていただきたいと思います。

大局的な実践観を説く<地之巻>
地之巻は、ここから兵法の道の細かい所、深い所に入って行く、そのスタートと位置づけられている部分で、現代的には、

どのような心持ちでトレーニングを行ってゆくか、指導してゆくか

という所に繋がる部分が非常にたくさんあります。

たとえば、この部分(ボク流の現代語訳です)、

兵法の道を習っても、実際の時の役には立つまい、と思う心もあるであろう。そういった事については、何時でも役に立つように稽古し、全てにおいて、役に立つように教えること。これが兵法の道なのである。

この道を教え、この道を習うことで利益をあげようと思う事、誰かが「生兵法大怪我のもと」と言ったが、その通りであろう。

ゴール設定、とは違うかもしれませんが、そこに至るプロセスの、その方向性を明確に簡潔に定める指針とは、言えないでしょうか。

個人的には特に後者、この道で利益をあげ...というくだりは、亡くなった居合の先生から「これ(居合)は金にならんよ。」とよく言われていたことを思い出します。おそらく先生は、事実として居合を習う人が少なくてお金にならない、という事よりも、稽古の目的をはき違えるな、ということを暗に諭してくださっていたのだと、自分では解釈しています。

我が身と道具の実践的な使い方を説く<水之巻>
水之巻からは、内容が少しずつ細かい、深い所に入っていきます。自分の刀と体、そして心の用い方について説いたのが、この水之巻です。

刀の用い方、という所に踏み込むとかなり応用可能範囲が狭まってしまいますので、ここでは多くのスポーツに共通するであろう、心持と目付の2点に絞らせていただきます。

<兵法心持の事>
平常時の心と何ら変わる事はない...張りつめすぎず、たるませず、偏らせず、心を真ん中に置いて、心を静かにゆるがせて、、、

<兵法の目付といふ事>
大きく広く見る目である。観と見る、2つの目を使うこと。観の目(心でもって相手の心を読み取る)を強く、見の目(目で相手の動きを見る)を弱く、遠い所を近くに見、近い所を遠くに見るような見方で、、、

どうでしょう、描写がかなり具体的になってきてはいませんか?個人的には、こういった部分が、禅の思想や自然法則に仮託した文芸的表現の多い他の武術の伝書類に比べ具体的だと思う所以なのですが、もしかすると、これでもまだ抽象的に感じられるかもしれません。

そんな人のために、武蔵が五輪書全編にわたって繰り返し強調している最強の言葉があるんです。

能々吟味、工夫あるべし
水之巻の描写がまだ抽象的に感じられる方が、それらの内容をより具体的に捉えられるようになるためには、一体どうすれば良いのでしょう。

さすが宮本武蔵、その方法もしっかり遺してくれています。それも、ものすごくシンプルな言葉で。各巻それぞれの項目の文末に、これらの言葉が頻繁に登場します。

能々吟味あるべし。

能々工夫すべし。

つまり、やれ!練習せい!!!と。

実際に何度もやってみて、武蔵が説いているような状態になれるように吟味して、工夫して、調整していけ。そういうことのようです。

シンプルだけど実に力強く、強いインプレッションを与えてくれるお教え。

一度読んでみて何かを感じたら、トレーニングでもスポーツでも、工夫と調整を繰り返す実践志向の五輪書的トレーニング、いかがですか?

(ちなみに火之巻は意思を持った相手との駆け引きについての具体的指針で応用範囲が狭まること、風之巻は他流派との比較、空之巻は前回お話した「苦しみからの自由、無心」と被るところが多い等の理由で省略させていただきました)

ブログランキング参加しています。清き1クリックいただけると嬉しいです。

ヨガ・ピラティス ブログランキングへ
五輪書 (講談社学術文庫)/鎌田 茂雄

¥903
Amazon.co.jp