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武道とタイ古式マッサージの意外?な相乗効果

当Seed Training、ヨガ/ピラティスの自宅出張レッスン、個人レッスンがメインとはいえ、これまであまりにもタイ古式マッサージに関する記事の比率が少なすぎました。

ので、今日はちょっとワタクシ「太田ゆきのぶが行うタイ古式マッサージ」というテーマで一筆書いてみようと思う次第です。

これまでしっかりとトレーニングを受けた方のタイ古式マッサージを受けたことのある皆さんは、「イタ気持ちいい」「力づよい」「よく伸びる」といった印象をお持ちになったことと思います。

ボクも、小兵ながらマッサージを受けて頂いたお客様から同様のお声をいただくことがあるのですが、ワット・ポーでのタイ古式マッサージのトレーニング以外でボクの技術に影響を与えているものとして、武道の経験があります。

今まで高校時代の日本拳法はじめ、大学以来居合、合気柔術と稽古をして来ましたが、ことマッサージに関して最も関連性が高いと感じるのが合気柔術のお稽古です。

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合気柔術というのは、護身術としても一般に広く知られている合気道のベースとなった、合気道と柔術の側面を併せ持った武道です。このお稽古を通して、教科書の知識としてではなく、実際のカラダの感覚で学んだ、

  • ツボの位置
  • 関節のつくり
  • 筋力ではない、体重の上手な乗せ方

というのが、ボクがワット・ポーで学んだタイ古式マッサージをさらに効果的なものにするのに役立ってくれています。

これら武道の知識・技術をタイ古式マッサージのルーティンに併せ、お客様のコンディションに応じて自在に指圧およびストレッチの加減・調整をすることが可能なので、華奢な女性から強揉みご希望の男性のお客様まで、幅広い方に満足いただけるタイ古式マッサージをお受けいただくことが可能です。

お疲れの際、疲労回復にSeed Trainingのタイ古式マッサージ、是非ご検討くださいませ。(コース、料金、出張サービス可能エリア等は以下のリンク先からご確認いただけます)

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お問合せ/ご予約

お問合せ/ご予約はこちらからお気軽にどうぞ。

(メールフォームでのお問合せ)

090-6756-5136

(レッスン中、移動中、施術中は電話に出られないこともございます。ご伝言をいただければ折り返しお電話させていただきます)

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Seed Training シードトレーニング タイ古式マッサージ ワイクルー タイ文化

タイ修行〜ワイクルー編

今回のタイ修行、もちろんメインの目的はタイ古式マッサージの習得でしたが、前回も書かせていただいたようにタイはちょうどインドと中国の間に位置する国。ということで、ヨガや武道で何か発見というか、学べることがあればいいな、と密かな期待も持っておりました。

直接的なヨガや武道の技術、というのは見つけられませんでしたが、しかしながらそれらに共通して流れる精神は、幸運にも見ることが出来ました。

それが、ワイクルーという文化です。

タイで見たワイクルー

ワイクルー(師への合掌)は、今回のタイ修行で出会った最も美しいタイ文化の一つです。一番有名なのは、ムエタイ選手が試合前に舞の形で行うワイクルーでしょう。学校では「ワイクルーの日」というのも存在するようです。

タイの人たちは、舞や合掌、お祈りといったワイクルーによって師への感謝を示します。ボクは、偶然迷い込んだローカルのムエタイ道場や、通っていたマッサージスクールでこのワイクルーを見ることが出来ました。

スクールでは、見た、というよりも、毎日一緒にやりました。朝は神棚(?)に向かって全員でお祈り(タイ語わからないので、黙って一緒に正座するだけですが)。マッサージの施術前にも少し合掌して、お祈り。

確かにワイクルーの所作そのものはとても静かで、美しいものだったのですが、ボクはこれがただの踊りや神頼みの類ではないと感じました(一部にはそういうタイ人もいるかもしれないが)。踊りや合掌のカタチを師匠に見せるとか、捧げるだけのものでもないとも思いました。

彼らはこのワイクルーの間に師への感謝の念をもって、師から受けた教えを呼び起こして、試合やマッサージの施術に万全の備えをしているのだろうと思います

ヨガでも、居合でも

ヨガにも、そして居合にも、ワイクルーのような稽古前後のお祈りや礼の儀式は存在します。

ヨガだったら、ティーチャートレーニングの先生ナクルは、毎日のトレーニングのはじめに”short prayer”といって、少し黙想をする時間を必ず取るようにしていました。自分の心の中にいるマスターに対して祈りなさい、と言われていました。

一番お世話になったヨガスタジオの先生ティナもよく、過去〜現在〜未来へと続く教えに、そしてそれを繋ぐ先生に感謝を、とレッスンの最後に言っていました。

居合でも、稽古の前後に刀礼と呼ばれる礼を、神前に向かって行います。

それら全てに、カタチ以上の深い意味がある。

その事を改めて教えてくれたのが、ボクにとってはタイの人たちのワイクルーでした。

少年ボクサーやマッサージスクールの人たちから見せてもらったワイクルーの精神を、自分も居合の刀礼の中に、ヨガの合掌の中に、ぜひ取り込ませていただこうと思います。

とはいえ、ボクはお客様とのレッスンの中で合掌をする時、「ボクに感謝してくださいよー!」などという意図は全くありません。

ただ、無言で手を合わせながら、ご自身がお稽古を通して覚えられたことを大切になさってください、という意味でやらせていただくだけです。

どうぞご理解のほどを。
合掌

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Seed Training シードトレーニング ヨガ ピラティス タイ古式マッサージ 自宅出張 個人レッスン 尼崎 兵庫 大阪

Seed Trainingの種まき〜その2〜

以前も同じような記事(Seed Trainingの”種まき“)を書きました。

なぜボクが自分の事業名を”Seed Training”(シードトレーニング)と名乗ったのか。

その時は、これまで一般的ではなかった、お客様のご自宅にお邪魔して行うヨガ・ピラティスの個人レッスンを当たり前のものにする、一部の人だけではなくみんなのものになるようにする、そのための”種まき”という点を述べさせていただきました。

今日少しお話させていただく自分の事業名を”Seed Training”と名付けた2つ目の理由、それは、

ボクがレッスンを通してお伝えさせていただく内容が、核心というか本質というか、そういう所を突くもので、どれだけ時間が経っても一人一人のお客様の心の底にしっかり残るものであるように、という思いです。

まるで土の中に眠る”種”が、どれだけ時間が経ってもいつか必ずそこから花を咲かせるように。

このようにボクが思えるようになったのには、2人の偉大な先生の存在があります。1人は居合の盛喜巳雄先生、もう1人がボクのヨガティーチャートレーニングを指導してくれたNakul Kapur先生です。

どちらの先生も、具体的なお稽古内容は、微に入り細にわたるきめ細かな指導というよりは、悪く言えばしつこく(スミマセン)、良く言えば根気よく粘り強く、同じ事を同じ言葉で、何度も繰り返し見せて指導してくれる、そんなスタイルが特徴でした。

そこには、昨今もてはやされる系統立ててメソッド化された指導スタイルや、感情・モチベーションを煽ったり刺激したりする要素は一切ありませんでした。

だから、これらのお稽古が心躍る、ウキウキ、ワクワクするようなおもしろいと思えるものであったかどうかというと、正直に言えば、No.でした。

それでも、この2人の先生の元でのお稽古が無駄だったかというと、それもまたNo.です。

何故かというと、この2人の先生から教えていただいた事というのは何年経っても心の中に残っていて、困難な状況に陥った時に、必要に応じて自然と出て来てくれるから、なんですね。

解りやすい例で言うと、居合でスランプに陥った時の事です。なかなか解決策が思いつかずに悩みながら自分で試行錯誤したり、先輩方のご意見を伺ったりしていると、そこからふと、「そういえばあの時、盛先生はこんな事を...」みたいに思い出すことがあるんです。で、思い出したことに従って身体を動かしてみると、案外あっさり問題が解決したりする。

運動をされる方でこういう経験って、ありませんか?

ボクはこういう経験が結構あるんですが、その度に「あぁ、盛先生は5年間で必要な事は全て教えてくださっていたんだ」ということを実感します。

盛先生は、ご自身の団体を『真傳居合道連盟』(真を伝える、という意味)と名付けられましたし、Nakul先生も”Authentic”(本物)なヨガ、ということをしきりに強調されていました。

レッスンを終えてその場でスッキリ!というのも勿論良いし大切なことだと思いますが、そのお客様のその後のお稽古を、もっと欲を言えば生涯を支えられるような”種”を埋めることが出来れば...

その思いで、ボクも地味だけど虚飾のない真の、本物のヨガピラティス/フィットネストレーニングをお届けにあがります。

タイ古式マッサージも、自分の”今”のコンディションがわかる、”今”の体の使い方に気を回していただけるような、そんなきっかけになるマッサージをお届けしたいと思います。

今後ともSeed Training、よろしくお引き立ての程をお願いいたします。

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沢庵和尚の教えから考えるトレーニングの在り方

バガボンドでの沢庵和尚の味のある言葉の数々に心うたれて、ついにリアル沢庵和尚がお書きになった『不動智神妙録』に目を通しました。

この書簡は、沢庵和尚が柳生但馬守に宛てたもので、仏法の立場から剣を説き、剣に生きる姿勢を説いた「剣禅一致」を説くものとされています。

確かに、兵法家として、そして為政者としての立場にあった柳生家が経験したであろう立ち合いという実戦の場、政治という実戦の場を想定した、極めて実戦的な心の置き方が記されています。

また、そうした実戦的な心の置き方を実践できるようになるまでのプロセスの一端も、わずかではありますが極めて核心をついたところが述べられています。

この『不動智神妙録』が、トレーナーにとって、そして武道でもヨガでも、あるいはどんなスポーツでも芸術でも、一心にその道を進む人にとってどんな意味があるのか、私が感じられた範囲でちょこっとシェアさせていただきます。

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五輪書的トレーニング

少し時間が出来たので、久しぶりに宮本武蔵の『五輪書』を読み直してみました。

この『五輪書』は、晩年の武蔵が二天一流(武蔵が立てた剣の流儀)の概要とその心を遺すべく綴ったもので、五輪の名のあらわす通り、地、水、火、風、空の全五巻からなります。

この五輪書の特徴をボクなりに表現させていただくと、
非常に実践志向でストレート

と言う事ができると思います。

さらに、ボク的にはこの同書の実践志向の部分がそのまま、現代のトレーナーやアスリートといった人たちにも(もちろん、そうじゃない一般のフィットネス愛好者の方にも)応用可能であるように思えるのです。

という事で、今回は『五輪書的トレーニングのすすめ』と題しまして、五輪書のトレーナーやアスリートへの応用の可能性について、少し書いてみようと思います。

ただし、一部で主張されている通り、古武術的なテクニカルな身体動作をそのままスポーツに利用する、というのは簡単ではないし、無理があるとさえ言うことができるかもしれません。

ですので、ボクの考える応用というのは、皆さんのされているスポーツをベースにして、そこに五輪書で書かれている主張や具体的な心の持ち方を重ねる、という事を前提としてお話させていただきたいと思います。

大局的な実践観を説く<地之巻>
地之巻は、ここから兵法の道の細かい所、深い所に入って行く、そのスタートと位置づけられている部分で、現代的には、

どのような心持ちでトレーニングを行ってゆくか、指導してゆくか

という所に繋がる部分が非常にたくさんあります。

たとえば、この部分(ボク流の現代語訳です)、

兵法の道を習っても、実際の時の役には立つまい、と思う心もあるであろう。そういった事については、何時でも役に立つように稽古し、全てにおいて、役に立つように教えること。これが兵法の道なのである。

この道を教え、この道を習うことで利益をあげようと思う事、誰かが「生兵法大怪我のもと」と言ったが、その通りであろう。

ゴール設定、とは違うかもしれませんが、そこに至るプロセスの、その方向性を明確に簡潔に定める指針とは、言えないでしょうか。

個人的には特に後者、この道で利益をあげ...というくだりは、亡くなった居合の先生から「これ(居合)は金にならんよ。」とよく言われていたことを思い出します。おそらく先生は、事実として居合を習う人が少なくてお金にならない、という事よりも、稽古の目的をはき違えるな、ということを暗に諭してくださっていたのだと、自分では解釈しています。

我が身と道具の実践的な使い方を説く<水之巻>
水之巻からは、内容が少しずつ細かい、深い所に入っていきます。自分の刀と体、そして心の用い方について説いたのが、この水之巻です。

刀の用い方、という所に踏み込むとかなり応用可能範囲が狭まってしまいますので、ここでは多くのスポーツに共通するであろう、心持と目付の2点に絞らせていただきます。

<兵法心持の事>
平常時の心と何ら変わる事はない...張りつめすぎず、たるませず、偏らせず、心を真ん中に置いて、心を静かにゆるがせて、、、

<兵法の目付といふ事>
大きく広く見る目である。観と見る、2つの目を使うこと。観の目(心でもって相手の心を読み取る)を強く、見の目(目で相手の動きを見る)を弱く、遠い所を近くに見、近い所を遠くに見るような見方で、、、

どうでしょう、描写がかなり具体的になってきてはいませんか?個人的には、こういった部分が、禅の思想や自然法則に仮託した文芸的表現の多い他の武術の伝書類に比べ具体的だと思う所以なのですが、もしかすると、これでもまだ抽象的に感じられるかもしれません。

そんな人のために、武蔵が五輪書全編にわたって繰り返し強調している最強の言葉があるんです。

能々吟味、工夫あるべし
水之巻の描写がまだ抽象的に感じられる方が、それらの内容をより具体的に捉えられるようになるためには、一体どうすれば良いのでしょう。

さすが宮本武蔵、その方法もしっかり遺してくれています。それも、ものすごくシンプルな言葉で。各巻それぞれの項目の文末に、これらの言葉が頻繁に登場します。

能々吟味あるべし。

能々工夫すべし。

つまり、やれ!練習せい!!!と。

実際に何度もやってみて、武蔵が説いているような状態になれるように吟味して、工夫して、調整していけ。そういうことのようです。

シンプルだけど実に力強く、強いインプレッションを与えてくれるお教え。

一度読んでみて何かを感じたら、トレーニングでもスポーツでも、工夫と調整を繰り返す実践志向の五輪書的トレーニング、いかがですか?

(ちなみに火之巻は意思を持った相手との駆け引きについての具体的指針で応用範囲が狭まること、風之巻は他流派との比較、空之巻は前回お話した「苦しみからの自由、無心」と被るところが多い等の理由で省略させていただきました)

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