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苦しみからの自由、無心

お客様がヨガによって心の苦しみから解放されるように手助けをするには...?

そしてまた、自分自身も居合によって心身を錬磨し、自身がそうした苦しみに取りつかれないようにするには...?

どうすればいいか。何が必要なのか。

そう考えた時に出て来たのが、禅で言うところの「無心」

ただ、その意味をよく解っていなかったので、参考のために読んだのが本書「無心ということ」でした。

無心とはこういうことだ、という、数学的な一つの解を示すものではありませんが、自分の無知から来る、無心に対する誤った思い込み、というものを払拭する非常にありがたい経験となりました。

とはいえ、まだ完全に本書の内容を理解した、というか自分自身で体験した(理解よりもむしろこちらが重要)訳ではありませんので、今後、折にふれ読み返す必要がありそうです。しかし、現時点で納得できる部分から、ストレス社会で生きる多くの日本人が何とかその心の安寧を保つのに役立つであろうと思われる箇所をかいつまんで、以下、ご紹介させていただきたいと思います。

苦痛を生む対立(二元論)の世界
私たちが心に苦しみを抱えてしまう理由、それは、物や目的などの頭に「自分の」という、いわば「我」(が)を作り上げてしまうことにあると著者は言います。

自分の主張、自分の目的、「自分の」という意識を強めれば強めるほど、「自分以外」の存在がよりクッキリと姿を現します。

自分のものとは異なる主張に対して喧嘩腰になって怒りの感情が湧くし、自分の思い描いていた目的が達せられないとガッカリして落胆します。結果、それらの感情に苦しむ、ことになります。

この、「自分」と「自分以外」の対立の世界に迷い込まないようにするために、お釈迦様の教えのエッセンスでもある苦しみからの解脱、といったものに重要な役割を担うのが、無心ということになります。

自然の無心、動物の無心、人間の無心
恥ずかしながらボクは、無心といったら「心をスッカラカンにすること」と長い間考えていました。結跏趺坐を組んで目を閉じて、一切の思考を抑えて「頭を停電させたような状態」にすることだと、昔は思っていました(Nakulからヨガを習うにつれてそのような誤解は次第に無くなっていきましたが。)

著者は、無心について「はからい」をやめる、という言葉を用いて表現されていました。「はからい」というのは、効用とか功徳、効能や能率といったものを考えて、その考えどおりの結果を出すように取りはからうこと、です。苦しまないためには、そこに執着するな、と。

そして、そうした「はからい」を持たない無心の一種として、自然の無心動物の無心というのを例にあげています。

自然の無心というところでは、火、風、太陽などを例に出して説明しています。たとえば太陽だったら善人も悪人も関係なく、誰にも平等に光をもたらしますよね。「はからい」はありません。そういった、自然法則というか物理的な法則に基づく無心が、この自然の無心。ボクの『無心の水菜』は、この自然の無心の賜物だったのかもしれません。

 

動物の無心は、いわゆる本能というヤツです。善悪の判断をせずに他の生物を捕食し、子孫を残して、満足とも不満とも言わず思わず、死んで行く。

しかし、いくら「はからい」を取り除くことが出来るからといって、完全に自然の無心のような機械的な無心、あるいは動物的本能的な無心になりきってしまうことを、著者は肯定しません。

道徳や義務といった重要な人間的心を保ったままで「天地の心を表すこと」が人間的無心である、と筆者は説きます。

「はからい」を取り除きつつも、道徳や義務といった人間的心の「重要なもの」を選別する、というのは理屈で考えると確かに矛盾しています。

それでも人間として最も自然な無心の境地を体得し、心の苦しみから真に解放されるには、あえてその矛盾を強行突破することも、今後は必要な選択肢となってくるのではないでしょうか。

本来、体験で「体得」するべきものを、そして言葉で語ろうとすると必然的に矛盾が発生してしまうものを、このように文章であらわすということで、いささか混乱をさせてしまったかもしれません。

ただ、

  • 強すぎる「自分の」というこだわりは、苦しみの元凶となる、ということ
  • 「はからい」をやめること
  • 論理的な矛盾を気にしないこと

を心にとどめておくことが、無心の境地に入り、心の苦しみから解放されるヒントとなりうるというのは、確かだと思われます。

この点を実体験として経験していただき、心からリラックスしていただけるヨガの出張レッスンをお届けします。

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Light on Zenとでも言うべきか

絶えず惹き付けられるこのテーマ、「禅」

この本は、第一次世界大戦の頃 “An Introduction to Zen Buddhism” という本を書いて(英語で)、西洋文明に対し禅とは何ぞや、と紹介した鈴木大拙博士が自ら日本語訳されたものだそうです。

とても良い本でした。

入門としているだけに、「禅とは何か」といった根本的な問いから、「禅は虚無主義か」「非合理的なる禅」といった章を読む事で、一回読むだけでも禅に対する誤解や偏見を防ぎ、禅と正しく向き合うことができるようになっている本だと思います。

さらに感銘を受けるのは、文章の中に鈴木大拙博士自らの深い経験が滲み出ている点です。

本書では、具体的な禅の修行法や思想、あるいは禅に関連する書物の引用等を用いて多方面から禅についての解説がなされているのですが、著者自身の経験が織り込まれていることで、それらが無味乾燥とした禅の展示物としてではなく、リアリティーをもって読み手に伝わって来るような印象を受けました。

そう、そうなんですよね。

何事も、明確に、確実に何かを理解しようとすると、絶対に「経験すること」が必要なんですよね。

本書が読み手にリアリティーを感じさせるのは、著者が豊富な経験をお持ちの方だからこそだし、おこがましいですが、私がある程度本書の言わんとするところを理解できたのも、居合やヨガ、その他様々の経験をしてきたからだと思います。

もし何かを達成しようと願う人で、純粋に、そして徹底的に経験することの必要性をうっすらとでも感じている人がいるならば、

禅とか仏教とか宗教とか、

そういった言葉にヒステリックな反応をせずに読んでみてはいかがでしょうか。

経験と実践の生涯を生きた先人の足跡が、ここにはあります。

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