オススメ本」カテゴリーアーカイブ

沢庵和尚の教えから考えるトレーニングの在り方

バガボンドでの沢庵和尚の味のある言葉の数々に心うたれて、ついにリアル沢庵和尚がお書きになった『不動智神妙録』に目を通しました。

この書簡は、沢庵和尚が柳生但馬守に宛てたもので、仏法の立場から剣を説き、剣に生きる姿勢を説いた「剣禅一致」を説くものとされています。

確かに、兵法家として、そして為政者としての立場にあった柳生家が経験したであろう立ち合いという実戦の場、政治という実戦の場を想定した、極めて実戦的な心の置き方が記されています。

また、そうした実戦的な心の置き方を実践できるようになるまでのプロセスの一端も、わずかではありますが極めて核心をついたところが述べられています。

この『不動智神妙録』が、トレーナーにとって、そして武道でもヨガでも、あるいはどんなスポーツでも芸術でも、一心にその道を進む人にとってどんな意味があるのか、私が感じられた範囲でちょこっとシェアさせていただきます。

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THE 100-MILE DIET

バンクーバー在住の著者が送り出し、英語圏の国々でベストセラーとなったエッセイ

“THE 100-MILE DIET~A YEAR OF LOCAL EATING~”

決して痩せるという意味でのダイエット、ではありません。食事のスタイル、というニュアンスでのダイエット。これは、“The Thrive Diet”の時と同じです。

で、気になる100マイルダイエットの食事スタイルですが、それは、

自分の住んでいる街から半径100マイル(約160km)以内で作られる食材だけで食べていく

という、いわば地産地消に似たもの。

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五輪書的トレーニング

少し時間が出来たので、久しぶりに宮本武蔵の『五輪書』を読み直してみました。

この『五輪書』は、晩年の武蔵が二天一流(武蔵が立てた剣の流儀)の概要とその心を遺すべく綴ったもので、五輪の名のあらわす通り、地、水、火、風、空の全五巻からなります。

この五輪書の特徴をボクなりに表現させていただくと、
非常に実践志向でストレート

と言う事ができると思います。

さらに、ボク的にはこの同書の実践志向の部分がそのまま、現代のトレーナーやアスリートといった人たちにも(もちろん、そうじゃない一般のフィットネス愛好者の方にも)応用可能であるように思えるのです。

という事で、今回は『五輪書的トレーニングのすすめ』と題しまして、五輪書のトレーナーやアスリートへの応用の可能性について、少し書いてみようと思います。

ただし、一部で主張されている通り、古武術的なテクニカルな身体動作をそのままスポーツに利用する、というのは簡単ではないし、無理があるとさえ言うことができるかもしれません。

ですので、ボクの考える応用というのは、皆さんのされているスポーツをベースにして、そこに五輪書で書かれている主張や具体的な心の持ち方を重ねる、という事を前提としてお話させていただきたいと思います。

大局的な実践観を説く<地之巻>
地之巻は、ここから兵法の道の細かい所、深い所に入って行く、そのスタートと位置づけられている部分で、現代的には、

どのような心持ちでトレーニングを行ってゆくか、指導してゆくか

という所に繋がる部分が非常にたくさんあります。

たとえば、この部分(ボク流の現代語訳です)、

兵法の道を習っても、実際の時の役には立つまい、と思う心もあるであろう。そういった事については、何時でも役に立つように稽古し、全てにおいて、役に立つように教えること。これが兵法の道なのである。

この道を教え、この道を習うことで利益をあげようと思う事、誰かが「生兵法大怪我のもと」と言ったが、その通りであろう。

ゴール設定、とは違うかもしれませんが、そこに至るプロセスの、その方向性を明確に簡潔に定める指針とは、言えないでしょうか。

個人的には特に後者、この道で利益をあげ...というくだりは、亡くなった居合の先生から「これ(居合)は金にならんよ。」とよく言われていたことを思い出します。おそらく先生は、事実として居合を習う人が少なくてお金にならない、という事よりも、稽古の目的をはき違えるな、ということを暗に諭してくださっていたのだと、自分では解釈しています。

我が身と道具の実践的な使い方を説く<水之巻>
水之巻からは、内容が少しずつ細かい、深い所に入っていきます。自分の刀と体、そして心の用い方について説いたのが、この水之巻です。

刀の用い方、という所に踏み込むとかなり応用可能範囲が狭まってしまいますので、ここでは多くのスポーツに共通するであろう、心持と目付の2点に絞らせていただきます。

<兵法心持の事>
平常時の心と何ら変わる事はない...張りつめすぎず、たるませず、偏らせず、心を真ん中に置いて、心を静かにゆるがせて、、、

<兵法の目付といふ事>
大きく広く見る目である。観と見る、2つの目を使うこと。観の目(心でもって相手の心を読み取る)を強く、見の目(目で相手の動きを見る)を弱く、遠い所を近くに見、近い所を遠くに見るような見方で、、、

どうでしょう、描写がかなり具体的になってきてはいませんか?個人的には、こういった部分が、禅の思想や自然法則に仮託した文芸的表現の多い他の武術の伝書類に比べ具体的だと思う所以なのですが、もしかすると、これでもまだ抽象的に感じられるかもしれません。

そんな人のために、武蔵が五輪書全編にわたって繰り返し強調している最強の言葉があるんです。

能々吟味、工夫あるべし
水之巻の描写がまだ抽象的に感じられる方が、それらの内容をより具体的に捉えられるようになるためには、一体どうすれば良いのでしょう。

さすが宮本武蔵、その方法もしっかり遺してくれています。それも、ものすごくシンプルな言葉で。各巻それぞれの項目の文末に、これらの言葉が頻繁に登場します。

能々吟味あるべし。

能々工夫すべし。

つまり、やれ!練習せい!!!と。

実際に何度もやってみて、武蔵が説いているような状態になれるように吟味して、工夫して、調整していけ。そういうことのようです。

シンプルだけど実に力強く、強いインプレッションを与えてくれるお教え。

一度読んでみて何かを感じたら、トレーニングでもスポーツでも、工夫と調整を繰り返す実践志向の五輪書的トレーニング、いかがですか?

(ちなみに火之巻は意思を持った相手との駆け引きについての具体的指針で応用範囲が狭まること、風之巻は他流派との比較、空之巻は前回お話した「苦しみからの自由、無心」と被るところが多い等の理由で省略させていただきました)

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苦しみからの自由、無心

お客様がヨガによって心の苦しみから解放されるように手助けをするには...?

そしてまた、自分自身も居合によって心身を錬磨し、自身がそうした苦しみに取りつかれないようにするには...?

どうすればいいか。何が必要なのか。

そう考えた時に出て来たのが、禅で言うところの「無心」

ただ、その意味をよく解っていなかったので、参考のために読んだのが本書「無心ということ」でした。

無心とはこういうことだ、という、数学的な一つの解を示すものではありませんが、自分の無知から来る、無心に対する誤った思い込み、というものを払拭する非常にありがたい経験となりました。

とはいえ、まだ完全に本書の内容を理解した、というか自分自身で体験した(理解よりもむしろこちらが重要)訳ではありませんので、今後、折にふれ読み返す必要がありそうです。しかし、現時点で納得できる部分から、ストレス社会で生きる多くの日本人が何とかその心の安寧を保つのに役立つであろうと思われる箇所をかいつまんで、以下、ご紹介させていただきたいと思います。

苦痛を生む対立(二元論)の世界
私たちが心に苦しみを抱えてしまう理由、それは、物や目的などの頭に「自分の」という、いわば「我」(が)を作り上げてしまうことにあると著者は言います。

自分の主張、自分の目的、「自分の」という意識を強めれば強めるほど、「自分以外」の存在がよりクッキリと姿を現します。

自分のものとは異なる主張に対して喧嘩腰になって怒りの感情が湧くし、自分の思い描いていた目的が達せられないとガッカリして落胆します。結果、それらの感情に苦しむ、ことになります。

この、「自分」と「自分以外」の対立の世界に迷い込まないようにするために、お釈迦様の教えのエッセンスでもある苦しみからの解脱、といったものに重要な役割を担うのが、無心ということになります。

自然の無心、動物の無心、人間の無心
恥ずかしながらボクは、無心といったら「心をスッカラカンにすること」と長い間考えていました。結跏趺坐を組んで目を閉じて、一切の思考を抑えて「頭を停電させたような状態」にすることだと、昔は思っていました(Nakulからヨガを習うにつれてそのような誤解は次第に無くなっていきましたが。)

著者は、無心について「はからい」をやめる、という言葉を用いて表現されていました。「はからい」というのは、効用とか功徳、効能や能率といったものを考えて、その考えどおりの結果を出すように取りはからうこと、です。苦しまないためには、そこに執着するな、と。

そして、そうした「はからい」を持たない無心の一種として、自然の無心動物の無心というのを例にあげています。

自然の無心というところでは、火、風、太陽などを例に出して説明しています。たとえば太陽だったら善人も悪人も関係なく、誰にも平等に光をもたらしますよね。「はからい」はありません。そういった、自然法則というか物理的な法則に基づく無心が、この自然の無心。ボクの『無心の水菜』は、この自然の無心の賜物だったのかもしれません。

 

動物の無心は、いわゆる本能というヤツです。善悪の判断をせずに他の生物を捕食し、子孫を残して、満足とも不満とも言わず思わず、死んで行く。

しかし、いくら「はからい」を取り除くことが出来るからといって、完全に自然の無心のような機械的な無心、あるいは動物的本能的な無心になりきってしまうことを、著者は肯定しません。

道徳や義務といった重要な人間的心を保ったままで「天地の心を表すこと」が人間的無心である、と筆者は説きます。

「はからい」を取り除きつつも、道徳や義務といった人間的心の「重要なもの」を選別する、というのは理屈で考えると確かに矛盾しています。

それでも人間として最も自然な無心の境地を体得し、心の苦しみから真に解放されるには、あえてその矛盾を強行突破することも、今後は必要な選択肢となってくるのではないでしょうか。

本来、体験で「体得」するべきものを、そして言葉で語ろうとすると必然的に矛盾が発生してしまうものを、このように文章であらわすということで、いささか混乱をさせてしまったかもしれません。

ただ、

  • 強すぎる「自分の」というこだわりは、苦しみの元凶となる、ということ
  • 「はからい」をやめること
  • 論理的な矛盾を気にしないこと

を心にとどめておくことが、無心の境地に入り、心の苦しみから解放されるヒントとなりうるというのは、確かだと思われます。

この点を実体験として経験していただき、心からリラックスしていただけるヨガの出張レッスンをお届けします。

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ティク・ナット・ハン師の『怒り〜心の炎の静め方』

ヨガでは、怒りの感情をいかにコントロールするか、という事を非常に重要視します。

ヨガで行うポーズや呼吸、そしてメディテーション(瞑想)も、根本的にはそうした怒りを含むあらゆるネガティブな感情から解放されて自由になり、真の幸福を得ることを目的とするものです。

実践する仏教の提唱者、ティク・ナット・ハン師の『怒り〜心の炎の静め方』は、ヨガにも通ずる、怒りをはじめとするネガティブな感情をいかに静め、真の幸福を掴むべきか、あるいはネガティブな感情に苦しんでいる自分以外の人をいかに幸せに出来るか、その方法を学ぶ上で非常に参考になる一冊でした。

以下、本書からボクが学んだ事を、

  • 怒りはどのようにして生まれるのか
  • 怒りにはどのように向き合うべきか
  • 怒りに対処するには、具体的に何が必要で、何をするべきなのか

の順番に、理解した範囲でまとめてみました。

怒りはどのようにして生まれるのか

著者によると怒りは、

  • 「怒りの種」に水をやるような、負の習慣的なエネルギー
  • 誤った解釈、認識

によるものだそうです。

よく怒る、暴力的な人がたくさんいるような環境に身を置いていると、習慣的に自分自身も怒りのスパイラルに巻き込まれて、無意識的に怒りに流され、暴力的な反応をしてしまいがちになります。

また、何か身の回りで起こっていることに対して客観的に見ないで、自分の誤った主観で捉えてしまうと、誤解は怒りの炎をどんどんと大きなものにしてしまいます。

怒りにはどのように向き合うべきか

では、そうした怒りが発生してしまった時にどのように向き合うべきかというと、仏教的立場から著者は、非二元論自分を偽らない姿勢で向き合うということを提唱しています。

非二元論とは、怒りを打ち破るべき敵と見なすことなく、自分自身を、善と悪と闘う戦場にすることなく、喜びを受け入れる時と同じ気持ちで向き合いましょう、という考えです。

さらに、怒りの感情を持った時は自分を偽ってはいけない、とも説いています。人は怒りに支配されている時に限って、「いいや!私は怒ってなんかいない!」とか「私は一人で十分!誰もいなくていい!」と言ってしまいがちです(その昔は、ボクもこんな事を思っていたし、人にも言っていました。思い返せば、当時のボクも怒りに支配されていた、ということでしょうか...)。

だけど、本当にあなたの事を助けたいと思ってくれている人にはこう言いましょう、と仰っています。

「私は怒っています、苦しんでいます。」

「私を助けてください。」

と。

ボクはなぜかこの部分を読んだ時、涙が溢れるのを止められませんでした。こんな言葉は、強がりではない、本当の心の強さを持った人にしか口に出来ませんからね。その重みを何となく感じたからの涙だったのかもしれません。

怒りに対処するには、具体的に何が必要で、何をするべきなのか

そして最後に、具体的に自分の、あるいは誰かの怒りを受け止めるために何が必要なのか、何をするべきなのかという問題です。怒りを認識するために、

  • 気づき
  • 洞察
  • 理解
  • 思いやり

が必要であるとされています。

自分自身の怒りを認識するには、気づきと洞察および理解が、誰かの怒りを認識するためには思いやりと洞察と理解が、必要となるでしょう。

それらの要素を養うための具体的手段が、

  • 呼吸
  • 歩行
  • 瞑想

です。これらを実践することで気づき、洞察、理解、思いやりを養うと同時に、怒りという”心のしこり”に心のマッサージを施すことが出来る、とのことでした。

自分のレッスンに置き換える

本書を読んで、著者の素晴らしい教えを自分のヨガピラティスのレッスン、タイ古式マッサージに置き換える方法も、考えてみました。

まずは、二元論で自分を偽ることなくレッスンをしていただく環境づくり。

  • 優劣や正誤、上下を周りと比較することなく、形はどうあれ、今その瞬間に、気持ちいい、効いてる、と感じていただけるメニューを存分に味わっていただく。
  • キツい時はガマンせずキツい!と言っていただけるコミュニケーションづくり。

それから、

  • お客様がご自身の心と体と真っ直ぐに向き合っていただけるような、意識的な動きのガイド

といったところを、今後さらに深めて行きたいという思いを深めました。

もしも、

「私は怒っています、苦しんでいます。」

「私を助けてください。」

とボクを頼ってくださるお客様がいらっしゃった時に、そのようなお客様を全力でサポートさせていただくためにも。

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