月別アーカイブ: 2012年3月

100 mile diet ブログ

THE 100-MILE DIET

バンクーバー在住の著者が送り出し、英語圏の国々でベストセラーとなったエッセイ

“THE 100-MILE DIET~A YEAR OF LOCAL EATING~”

決して痩せるという意味でのダイエット、ではありません。食事のスタイル、というニュアンスでのダイエット。これは、“The Thrive Diet”の時と同じです。

で、気になる100マイルダイエットの食事スタイルですが、それは、

自分の住んでいる街から半径100マイル(約160km)以内で作られる食材だけで食べていく

という、いわば地産地消に似たもの。

日本でも地産地消とか、スローフード、LOHAS的な動きってあるけど、ボクがこの本に共感できたのは、著者が地味に、そして泥臭く方々を駆け回って様々なローカル食材を確保していく様子に、セレブ趣味的な気取った地産地消、スローフード的動きを感じなかったところ。

高いお金をかけて、デパートなんかでローカル食材(ブランド食材?)を買って100マイルダイエット!なんて呼びかけたって、ボクら庶民はバカらしくてやってられない、ってなりますからね。

さらに、著者が100マイルダイエットを通して得た、
・様々な食材の旬、その保存方法といった実用的な知識
・農業が抱える問題
・食の安全と健康
・環境の変化
なんかもとても興味深かったです。

本の末部には、著者が1年間行った100マイルダイエットをボクたちが行うにあたってのルール、そして100マイルダイエットを行う意義についても書かれています。簡単に日本語訳するとこんな感じ。

<100マイルダイエット・ルール>
1. 全ての食材は地元から半径100マイル(約160km)圏内で作られたものであること。

2. 100マイルチャレンジに参加中のレストラン、またはローカル食材を提供することに強いこだわりをもって実践しているレストランを除き、原則として外食はしないこと。

3. トラベラーズ条項
(a). 半径100マイルの円も旅行者と一緒に旅をするものとする。旅行中の食事は、旅行者が地元から携帯したもの、または移動先の半径100マイル圏内で取れた食材で作られた食べ物を食べること。

(b). 半径100マイルを越える遠方の食材を得るための旅行は行わないこと。

(c). 旅行から帰宅する際、少量の旅行先での食材を持ち帰ることを認める。同様に、遠方から友人等が訪問する際、彼らが当地のローカル食材を土産として持参する場合は、これを咎めない。

4. 99%条項
(a). 100マイルダイエット挑戦者の食事は、ローカル食材のみで調理されたもの、または前条(b)項規定に反しない食材のみで調理されたものとする。

(b). 地元で製造される食材のうち、ごく微量の外部からの添加物を使用するもの(ローカルワインに添加されるイースト、ローカルチーズに添加されるレンネット等)は、これをローカル食材と見なす。ただし、100マイル圏外の具材を練り込んだチーズ、または圏外の具材を含むツケだれに漬け込んだ肉等は、本項の適用を受けないものとする。

(c). 100マイルチャレンジ開始前に、ローカル、の意味を熟考し、定義すること(地元でローストされたコーヒー豆は、地元産でない小麦粉を使って地元のパン屋で焼かれたパンは、ローカル食材と言えるか等)。

5. ランディー条項(例外規定)
(a). 一定の条件のもと、100マイルダイエット挑戦者は本チャレンジを休止することができる(重要な式典、家族の伝統行事、夫婦の10周年記念に取っておいた特別なワイン等)。100マイルダイエットの主旨はコミュニティーの結束を強めるためのものであり、それらを壊してまで行うものでないことを理解する。

(b). 100マイルダイエット挑戦者は、自身が例外規定を日常的に行っていると感じた場合は、自身の経験を深め、100マイルコミュニティーを形成し、その拡大に貢献するための追加チャレンジを行うものとする。

<100マイルダイエットの意義>
1. 味の違い、本物の味を味わう
2. 自分自身が食べるものを正しく理解する
3. 近隣の人々と知り合う
4. 季節との繋がりを取り戻す
5. 今まで知らなかった味に出会う
6. 自身のコミュニティーを探検する
7. 地球に優しく
8. 小規模農家をサポートする
9. 地域経済を支える
10. より健康に
11. たくさんの思い出を
12. 旅をより楽しく

どうですか?

なんか、楽しそうかも、いいかも☆

そう思った方、少しずつでも100マイルダイエット、はじめてみませんか?
ボクも、健康な食べ方、地球に優しい食べ方に関して色々やってたり考えていることはありますが、そのへんはまた今度。

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The 100-Mile Diet: A Year of Local Eating/Alisa Smith

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ミルグラム実験を知っていますか?

ウィスラーを離れる時にヨガの先生のTinaからプレゼントとしていただいた本を読んでいると、大学の留学時代にも『権威への服従』みたいなテーマを勉強した時に登場した“ミルグラム実験”の話が出ていました。

今回は、それをもとにヨガや武道なんかを絡めて、人間一人一人が生まれながらに持っている良心、道徳という点、それから国や社会といったものによって作られたルールや決まり事といった権威について少し書いてみたいと思います。

<ミルグラム実験とは>
本実験は、第二次大戦中にユダヤ人の大量虐殺を行ったナチ党員、軍人たちは本来的に特殊な性格の持ち主だったのか、それとも何らかの条件下であのような行為に走らざるを得ない普通の市民だったのか、という疑問から、権威に従う人間の心理状態をはかるために行われました。

実験は、出題者(被験者)がクイズを出し、回答者(サクラ)が間違った回答をした場合に出題者が電気ショックを与えるというもの。間違えるごとに徐々に電流は高くなっていき(実際は電流は流れない)、回答者は苦しみもだえ、実験の中止を求めます。被験者である出題者の隣には白衣を着た研究員風の男が一人。出題者が中止を訴えるとひたすら、「あなたの役目ですから。続けてください」と圧迫する。

詳しくは、こちらの動画を見て頂くといいかと思います。

回答者が苦しむ様子を把握しながら、出題者はどこまで実験を続ける事が出来るのか。

驚きの結果です。

なんと半数を超える、全被験者40人中25人までが最大ボルト数(出題者の手元の表記ではxxxボルトと表示)まで電気ショックを与えた、ということです。

その25人全てが、途中で実験に疑問を抱き、中にはさらに実験の中止を求める人もいたにもかかわらず、結局は研究員風の男の言葉に押されて、つまりは権威に押されて、MAXのxxxボルトのスイッチまで入れてしまったのです。

<アカゲザルの良心>
Tinaから貰ったこの本には、ミルグラム実験と並んでもう一つ興味深い実験の結果について紹介されていました。それが“ALTRUISTIC” BEHAVIOR IN RHESUS MONKEYS(アカゲザルの利他的行動)という論文で紹介されている実験です。

この実験はというと、実験そのものが道徳的ではないですが、まず1部屋を2つに区切り、一方の部屋にアカゲザルを入れて、そいつに鎖を引っ張ることでエサを確保できるように教え込ませるんですね。

エサをとる為に鎖を引く必要があることを覚えたところで、もう一方の部屋に別のアカゲザルを入れます。鎖を引いてエサを確保するアカゲザルは何気なく鎖を引きます。すると今度は、エサが取れるだけではなくもう一方の部屋にいるアカゲザルに電気ショックがいってしまうんですね。いや、ひどい...

とにかくそういう実験をして、アカゲザルがどういう反応をするか調べよう、と。

実験対象となった15匹中10匹が、明らかに電気ショックを与える鎖を引く回数が減った、という結果になったそうです。中には5日間、あるいは12日間一度も鎖を引かなかったものもいたようです。

また、電気ショックを与えられた側のアカゲザルが鎖を引く側にまわって行った実験では、そうしたサルが鎖を引く頻度はさらに減った、ということです。痛みを理解しているからこそ、同じ痛みを仲間に与えたくなかった、ということでしょうか?

<ヨガ・武道で目指したいところ>
2つの実験について知っていただいたところで、最後にボクのヨガと武道のお稽古を通して目指したいところについても少しお話しさせてください。

何のことはありません、アカゲザルが持っているように、人間にも本来的に備わっている良心や道徳、それを軸に生きて行ける強さを持ちたい、という事だけです。

決まりだから、ルールだから、という理由ではなく、自分の心と体と魂が本当に納得するかどうか、それで自分の全ての行動を決定できるように

そしてその決定が絶対に間違いのないように、ヨガや武道の真摯なお稽古を通して日頃から正しい心、体、魂の鍛錬に励む。

これが、このミルグラム実験とアカゲザルの実験から見出したボクのお稽古の目指すところです。

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Yoga and Vegetarianism: The Diet of Enlightenment/Sharon Gannon

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健康な食べ方を真剣に考えた

私事ですが、つい先日、父ががんの手術を行いました。(このため、武庫之荘での教室をしばらく休止させていただく事にしました。楽しみにしてくださっていた皆様にはご迷惑をおかけいたします、申し訳ございません。)
一昨年の母の手術に続き、これで両親ともにがん手術を行ったことになります。

がんが遺伝するかどうかという議論はさておき、今回の事態に接して遺伝の問題よりもボクが我が事として真剣に考えたのが、家族のライフスタイルについてでした。

特に思い当たったのが、食事についてです。食習慣とがん発生リスクの関連性が高いことが主張されているからです。家族はこれまで一体何を、どのように食べて来たのだろう。そして今後、健康に暮らすための食事を、どのように整えるべきなのだろう、と。

考え抜いて辿り着いたのは、これは決してボクの家族だけではなく、現代人の多くが何をどのように食べるのかという問題について、大きな思い違いをしているのではないか、という事でした。

命を、健康を維持するために食べる
ボクたちが食べる理由、それは命を、健康を維持するためであるというのが大原則であるはずです。命を縮めるために、体を壊すために食べるという事は絶対に違うはずです。これは、おそらく大多数の方が理解されている事ではないでしょうか。

ですが、実践できているかどうか、という点ではどうでしょう。

バランスの取れた健康な心と体の状態を維持するには、栄養のバランスの取れた食事を選ぶことが重要です。ですが、ついつい時間が無いから、安いから、という理由でジャンキーなファストフードやインスタント食品に頼ること、多くありませんか?

また、本来の命と健康の維持という原則から離れて、もっぱら

  • ストレス発散
  • 暇つぶし、あるいは
  • 欲を満たすためだけに食べる

という行為をしていないでしょうか?ストレス発散や欲を満たすためだけに食べる人は、栄養のバランスを無視してひたすらスイーツだったり、ラーメンだったり、肉だったり、あるいはアルコールを大量に摂取して偏った食事になっていませんか?

暇つぶしに食べる人は、カロリーと脂肪分と塩分だけで出来たようなジャンキーなスナック菓子ばかりを食べているようなこと、ありませんか?

ボクたちが何故食べるか、という理由を正確に理解していると、何を食べるべきかという答えは自ずと出て来るはずです。少なくともここで例に出したような食べ物ではいけない、という事くらいは何となくでもお解りのはず。

沢山食べれば健康になれるか
腹八分。日本には、どれくらい食べるのかという目安についてこんなにシンプルで、なおかつ明確な基準があります。でも実際はというと...

最初に言った大原則を忘れて、暴飲暴食していませんか?食べ放題などで元を取らないと損だと必死に食べる人がいますが、その行為でボクたちは命という追加料金を払わされていると考えると、どうでしょうか。

また、どのように食べるのかという問題では、先の例にも出したストレス発散、暇つぶし、あるいは欲を満たすためだけに食べるという食べ方が引き起こす偏食という問題も考えものです。

Eat food. Not too much. Mostly plants.
以上、エラそうな事を書き連ねて来ましたが、これは何も説教とかそんなものではなくて、これまでの自分と家族の食生活を振り返った結果の気づきと、これを読んでくださっている皆さんも、思い当たることありませんか?という、あくまで問いかけです。

ただ、問いかけだけで終わってしまうのも何なので、今のボクがどういう事を心がけて食べているのか、そして今後家族にどのような食べ方を奨めて行くつもりか、というのをご紹介させていただきます。

方針は、この項目の冒頭に大きく書いてある通り、
“Eat food. Not too much. Mostly plants.”です。

これは、マイケル・ポーランの”Food Rules”という本からの引用で、「食べ物を食べる。ただし食べ過ぎない。そして、ほとんどを植物(野菜、果物、穀物、豆類等)でまかなう。」という意味です。

<食べ物を食べる>
当たり前だろう!と思われるかもしれませんが、ボクが考える食べ物というのは、保存が効くような加工、化学調味料、着色料等の手が加えられていないものを意味します。出来るだけ野菜や果物など、原型をとどめているものを買って自分で料理をし、食べるようにします。

<食べ過ぎない>
これは、もうくどくど繰り返し説明する必要ありませんね。ボクの場合は、腹八分です。

<ほとんどを植物でまかなう>

ほとんどを植物でまかなう、という方針を立てることで、過剰な肉類の摂取を避けることができます。肉類だけが悪者ではありませんが、肥満などもがんリスクを高める一因であることを考慮し、肉のかわりに野菜や果物、出来るだけ精白されていない穀物でまかなうようにしています。

現時点で、およそ1年近くこうした方針に基づくベジタリアン生活を続けているのですが、体力的に全く問題なく、この寒い冬も風邪ひとつひくことなく健康に過ごすことが出来ています。

決してこの方法を強く奨めたりはしませんが、皆さんが、食べるということについてボクがしたようにじっくりと考えていただくきっかけになれば幸いです。

あなたの食べ方が、あなたの健康と幸せをつくるものでありますように。

合掌

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五輪書的トレーニング

少し時間が出来たので、久しぶりに宮本武蔵の『五輪書』を読み直してみました。

この『五輪書』は、晩年の武蔵が二天一流(武蔵が立てた剣の流儀)の概要とその心を遺すべく綴ったもので、五輪の名のあらわす通り、地、水、火、風、空の全五巻からなります。

この五輪書の特徴をボクなりに表現させていただくと、
非常に実践志向でストレート

と言う事ができると思います。

さらに、ボク的にはこの同書の実践志向の部分がそのまま、現代のトレーナーやアスリートといった人たちにも(もちろん、そうじゃない一般のフィットネス愛好者の方にも)応用可能であるように思えるのです。

という事で、今回は『五輪書的トレーニングのすすめ』と題しまして、五輪書のトレーナーやアスリートへの応用の可能性について、少し書いてみようと思います。

ただし、一部で主張されている通り、古武術的なテクニカルな身体動作をそのままスポーツに利用する、というのは簡単ではないし、無理があるとさえ言うことができるかもしれません。

ですので、ボクの考える応用というのは、皆さんのされているスポーツをベースにして、そこに五輪書で書かれている主張や具体的な心の持ち方を重ねる、という事を前提としてお話させていただきたいと思います。

大局的な実践観を説く<地之巻>
地之巻は、ここから兵法の道の細かい所、深い所に入って行く、そのスタートと位置づけられている部分で、現代的には、

どのような心持ちでトレーニングを行ってゆくか、指導してゆくか

という所に繋がる部分が非常にたくさんあります。

たとえば、この部分(ボク流の現代語訳です)、

兵法の道を習っても、実際の時の役には立つまい、と思う心もあるであろう。そういった事については、何時でも役に立つように稽古し、全てにおいて、役に立つように教えること。これが兵法の道なのである。

この道を教え、この道を習うことで利益をあげようと思う事、誰かが「生兵法大怪我のもと」と言ったが、その通りであろう。

ゴール設定、とは違うかもしれませんが、そこに至るプロセスの、その方向性を明確に簡潔に定める指針とは、言えないでしょうか。

個人的には特に後者、この道で利益をあげ...というくだりは、亡くなった居合の先生から「これ(居合)は金にならんよ。」とよく言われていたことを思い出します。おそらく先生は、事実として居合を習う人が少なくてお金にならない、という事よりも、稽古の目的をはき違えるな、ということを暗に諭してくださっていたのだと、自分では解釈しています。

我が身と道具の実践的な使い方を説く<水之巻>
水之巻からは、内容が少しずつ細かい、深い所に入っていきます。自分の刀と体、そして心の用い方について説いたのが、この水之巻です。

刀の用い方、という所に踏み込むとかなり応用可能範囲が狭まってしまいますので、ここでは多くのスポーツに共通するであろう、心持と目付の2点に絞らせていただきます。

<兵法心持の事>
平常時の心と何ら変わる事はない...張りつめすぎず、たるませず、偏らせず、心を真ん中に置いて、心を静かにゆるがせて、、、

<兵法の目付といふ事>
大きく広く見る目である。観と見る、2つの目を使うこと。観の目(心でもって相手の心を読み取る)を強く、見の目(目で相手の動きを見る)を弱く、遠い所を近くに見、近い所を遠くに見るような見方で、、、

どうでしょう、描写がかなり具体的になってきてはいませんか?個人的には、こういった部分が、禅の思想や自然法則に仮託した文芸的表現の多い他の武術の伝書類に比べ具体的だと思う所以なのですが、もしかすると、これでもまだ抽象的に感じられるかもしれません。

そんな人のために、武蔵が五輪書全編にわたって繰り返し強調している最強の言葉があるんです。

能々吟味、工夫あるべし
水之巻の描写がまだ抽象的に感じられる方が、それらの内容をより具体的に捉えられるようになるためには、一体どうすれば良いのでしょう。

さすが宮本武蔵、その方法もしっかり遺してくれています。それも、ものすごくシンプルな言葉で。各巻それぞれの項目の文末に、これらの言葉が頻繁に登場します。

能々吟味あるべし。

能々工夫すべし。

つまり、やれ!練習せい!!!と。

実際に何度もやってみて、武蔵が説いているような状態になれるように吟味して、工夫して、調整していけ。そういうことのようです。

シンプルだけど実に力強く、強いインプレッションを与えてくれるお教え。

一度読んでみて何かを感じたら、トレーニングでもスポーツでも、工夫と調整を繰り返す実践志向の五輪書的トレーニング、いかがですか?

(ちなみに火之巻は意思を持った相手との駆け引きについての具体的指針で応用範囲が狭まること、風之巻は他流派との比較、空之巻は前回お話した「苦しみからの自由、無心」と被るところが多い等の理由で省略させていただきました)

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苦しみからの自由、無心

お客様がヨガによって心の苦しみから解放されるように手助けをするには...?

そしてまた、自分自身も居合によって心身を錬磨し、自身がそうした苦しみに取りつかれないようにするには...?

どうすればいいか。何が必要なのか。

そう考えた時に出て来たのが、禅で言うところの「無心」

ただ、その意味をよく解っていなかったので、参考のために読んだのが本書「無心ということ」でした。

無心とはこういうことだ、という、数学的な一つの解を示すものではありませんが、自分の無知から来る、無心に対する誤った思い込み、というものを払拭する非常にありがたい経験となりました。

とはいえ、まだ完全に本書の内容を理解した、というか自分自身で体験した(理解よりもむしろこちらが重要)訳ではありませんので、今後、折にふれ読み返す必要がありそうです。しかし、現時点で納得できる部分から、ストレス社会で生きる多くの日本人が何とかその心の安寧を保つのに役立つであろうと思われる箇所をかいつまんで、以下、ご紹介させていただきたいと思います。

苦痛を生む対立(二元論)の世界
私たちが心に苦しみを抱えてしまう理由、それは、物や目的などの頭に「自分の」という、いわば「我」(が)を作り上げてしまうことにあると著者は言います。

自分の主張、自分の目的、「自分の」という意識を強めれば強めるほど、「自分以外」の存在がよりクッキリと姿を現します。

自分のものとは異なる主張に対して喧嘩腰になって怒りの感情が湧くし、自分の思い描いていた目的が達せられないとガッカリして落胆します。結果、それらの感情に苦しむ、ことになります。

この、「自分」と「自分以外」の対立の世界に迷い込まないようにするために、お釈迦様の教えのエッセンスでもある苦しみからの解脱、といったものに重要な役割を担うのが、無心ということになります。

自然の無心、動物の無心、人間の無心
恥ずかしながらボクは、無心といったら「心をスッカラカンにすること」と長い間考えていました。結跏趺坐を組んで目を閉じて、一切の思考を抑えて「頭を停電させたような状態」にすることだと、昔は思っていました(Nakulからヨガを習うにつれてそのような誤解は次第に無くなっていきましたが。)

著者は、無心について「はからい」をやめる、という言葉を用いて表現されていました。「はからい」というのは、効用とか功徳、効能や能率といったものを考えて、その考えどおりの結果を出すように取りはからうこと、です。苦しまないためには、そこに執着するな、と。

そして、そうした「はからい」を持たない無心の一種として、自然の無心動物の無心というのを例にあげています。

自然の無心というところでは、火、風、太陽などを例に出して説明しています。たとえば太陽だったら善人も悪人も関係なく、誰にも平等に光をもたらしますよね。「はからい」はありません。そういった、自然法則というか物理的な法則に基づく無心が、この自然の無心。ボクの『無心の水菜』は、この自然の無心の賜物だったのかもしれません。

 

動物の無心は、いわゆる本能というヤツです。善悪の判断をせずに他の生物を捕食し、子孫を残して、満足とも不満とも言わず思わず、死んで行く。

しかし、いくら「はからい」を取り除くことが出来るからといって、完全に自然の無心のような機械的な無心、あるいは動物的本能的な無心になりきってしまうことを、著者は肯定しません。

道徳や義務といった重要な人間的心を保ったままで「天地の心を表すこと」が人間的無心である、と筆者は説きます。

「はからい」を取り除きつつも、道徳や義務といった人間的心の「重要なもの」を選別する、というのは理屈で考えると確かに矛盾しています。

それでも人間として最も自然な無心の境地を体得し、心の苦しみから真に解放されるには、あえてその矛盾を強行突破することも、今後は必要な選択肢となってくるのではないでしょうか。

本来、体験で「体得」するべきものを、そして言葉で語ろうとすると必然的に矛盾が発生してしまうものを、このように文章であらわすということで、いささか混乱をさせてしまったかもしれません。

ただ、

  • 強すぎる「自分の」というこだわりは、苦しみの元凶となる、ということ
  • 「はからい」をやめること
  • 論理的な矛盾を気にしないこと

を心にとどめておくことが、無心の境地に入り、心の苦しみから解放されるヒントとなりうるというのは、確かだと思われます。

この点を実体験として経験していただき、心からリラックスしていただけるヨガの出張レッスンをお届けします。

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