ヨガ哲学や禅を通して「こころ」に並々ならぬ関心を寄せていますが、
今回は少し変わった視点から「こころ」を探ってみようと思い、新渡戸稲造博士の『武士道』を読んでみました。
スタジオ入口に期間限定で飾っているマンダラ、多くの方に興味を持っていただけているようで何よりです。
そこで、さらに親しみを持って接していただけるよう、この場でこのマンダラの詳細を、ヨガ哲学の視点からもからめてご紹介しようと思います。
そもそもマンダラは、宇宙・世界のありさまを表したもの、ひいては悟りの境地を表したものとされています。様々な種類のマンダラが存在しますが、当スタジオで飾っているマンダラは、私が通っていた真言宗系の高校の卒業祝いの品として授与されたものです。中央の大日如来を中心に赤、青、黄、緑の各色で表された5躰の如来とそれぞれの如来が象徴する5つの智慧が表現されています。
このマンダラで表されている色は、よく調べてみるとヨガ哲学で説かれる”プルシャ“(存在の精神的原理、ひいては魂)の色と完全に一致しています。
白以外の色については、7つのチャクラのシンボルカラーにも含まれていますね。
各色とその意味する言葉が必ずしも一致しているとは言えないかもしれませんが、それでも全く異なる意味合いであるとも言い切れないとは思わないでしょうか?
私にはこのマンダラは「心身のバランスの取れたいのちの理想型」を表現しているように感じられます。
そしてこのマンダラを前にすると、「このマンダラの境地がいつか自分の内にも展開するように今日もヨガに生きるんだ」という気持ちになります。
スタジオにお越しいただく皆様にも是非、じっくりご覧いただき、何かを感じ取っていただければと思います。
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お盆に『ラサへの歩き方』という映画を見て来ました。
チベットの小さな村に住む人たちが、五体投地で1年かけてチベット仏教の聖地ラサへ巡礼するロードムービーです。(ドキュメンタリーではなくフィクションです)
予告編はこちら。
じつは、先日スニーカーに穴が開いていることに気づいたのは、予告編でも言っている「靴がボロボロだ」というセリフを聞いて、まさかと思って自分の靴を見てみたら、、、という経緯があったりするのですが。
それはさて置き『ラサへの歩き方』、すごく心に響きました。
ラサへの巡礼は、シンプルっていうより、すごく丁寧で美しい生き方だと思いました。
寒い時も、硬いアスファルトの上も、水たまりの中も、街中も、ひたすら五体投地で前進し、途中で中断した時は必ず中断した所まで後戻りして、そこから再び五体投地で進む。
巡礼の途中で彼らが出会うチベットの人々もまた、素晴らしく心が豊か。
巡礼を称え、初対面の彼らに気軽にお茶を勧めたり、宿を提供したり。
私は以前、回族(中国でイスラム教を信仰する少数民族)の方が「チベットの人たちは本当に精神が豊か」とおっしゃるのを聞いたことがあるのですが、この作品を見て、その言葉に心から納得しました。
ヨガ・ピラティスは、特にヨガは「ヨガ的生活」ということも言われることがあるくらい、単なるエクササイズ、体操の一種ではない、ある意味「ヨガという生き方」と言ってもいいくらいのものだと思います。
自然災害や社会情勢等の変化の波の激しい中で、
偽らず、丁寧に、五体投地で前進する気持ちで1日1日を過ごせるように、
惜しむことなく巡礼者にお茶や宿を提供するように、豊かな精神で1日1日を、、、
『ラサへの歩き方』のおかげで、ヨガ・ピラティスで養った心と体で、そんな風に生きていきたいという気持ちを新たにすることができました。
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前回の「たまたま→自分の選択→運命」という私の出会い、出来事に対する捉え方のパターンに関連して、私の最初の居合の先生との出会いについてお話してみようと思います。
坐禅会と同じく、先生との出会いは全くたまたまでした。当時今ほど華やかではなかったインターネット上で居合道場の一覧表に載ってあった先生のお名前と連絡先、そして稽古場所。
たまたま家から一番近いこと、そして興味のあった流派であったことから連絡を取らせて頂き、見学。
見学後、先生は私に「ウチに来ても、ワシは教えへんよ」と仰いました。当時はその真意を全く理解出来ないで、私はそれでもお願いします、と入門を許していただいたのでした。
「教えへんよ」と言われつつ、しっかり教わっていたと思います。確かに「なぜ」「どうして」みたいなことを論理的に丁寧に説明されることはありませんでしたが。
目の前で模範を黙って示され、「やってみろ」と黙って手を私の方に差し出し、私も先生の模範に倣って同じ形を抜く。先生は私の欠点を見せ、正しい動きをもう一度示される。これもやはり無言で。
先生のご存命中は、ひたすらこんな沈黙の稽古をつけて頂いていました。
ですが、理屈を捏ねずに体で先生の模範にぶつかっていったおかげで、どれだけ先生がされる模範の精度が高いのか、先生ご自身が凄いのか実感することが出来たように思います。
それが分かるようになってからは、直接言葉を交わさなくても、先生が何気なく口にされる言葉、取られる動作に細かく注意を向けるようになりました。
思えばこの時から、「自分の選択」で意欲的に稽古するようになっていたと言えるかもしれません。
無言のやり取り、何気ない言葉や動作を通しての「教えへん」教えを授かったおかげで、その後、世界中で素晴らしい先生方と出会うことが出来ました。
ヨガのナクルも、ピラティスも、ワットポーのタイ古式マッサージの先生方も、坐禅の副御住職さまも。
教えを待っていたら、きっと先生方の本当の凄さに気付けずに終わっていただろうと思います。理屈を並べるだけでは、「自分の考えの方が正しいんじゃないか?」くらいの錯覚にさえ陥ってしまっていたのではないかとも思います。
ひたすら模範に倣い、聞き取れるちょっとした言葉やピンと来た動作に食らいついたからこそ、良い学び、良い出会いの機会に恵まれたと言えるのだと思います。
先生との出会いから15年。色んな場所、経験を経ていま「教えない」先生との出会いは、運命だったと思えます。
…
個人的な長話にお付き合い頂きましてありがとうございました。
たまに(かなり?)、その先生よろしく私のレッスンも沈黙の時間が生じることがありますが、ラクをしてる訳ではなく、無言で必死に何かを示そうとしているつもりですので、是非その示さんとするものを掴んで頂けましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
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