じつは、というと何ですが、私には既に戒名があったりします。
幸圓舒暢
というのがそれで、さらに細かく分けると幸圓を「道号」、舒暢の方を「戒名」と言うそうです。
続きを読む茶道を嗜む人、という意味ではない、
変わった好みを持つ人、風流な人という意味合いでの茶人という存在に興味を惹かれます。
まあ、何よりまず私自身がとことん普通ではない変わった人間なんですが。
日本の歴史では、もっと尖った人たちで、
婆裟羅(ばさら)、傾奇者(かぶきもの)なんて呼ばれた人たちも居ます。
続きを読む無轍跡と書いて「むてっせき」と読みます。正式には善行無轍跡で、老子の言葉だそうです。
善く行く者は轍(わだち)の跡を残さない
という意味で、これも私の好きな言葉の一つです。以前いただいた御朱印に書かれていた言葉から知るようになりました。
私は、とかくビジネス的な自己PRで成果や経歴を強調したり、自分の生きた証、爪跡を残すなんてことを考えるのが面倒くさい性格なのです。
でも、自分で身体を動かして技を磨き、心と身体の可能性に気付いて、それを一つ一つ味わうことは非常に楽しい。
そんな私が去った跡には、足跡ひとつ残らない。存在そのものも忘れ去られている。
美しいじゃないか、気負いが無くて心地よい、風流な歩み方ではないか、と私は思うのです。
皆さまにはヨガ・ピラティスを通して覚えていただいた身体の使い方の中で、荷物にならないものがあればそのままお持ち頂けるのはありがたいですが。
もしピンと来られた方がありましたら、「無轍跡」な生き方も併せてどうぞ。
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お釈迦さまの言葉で個人的に大変響くものの一つに、
人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。人は悪口を語って、その斧によって自分自身を斬るのである。
(中村元『ブッダの真理のことば感興のことば』岩波文庫)
という言葉があります。
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