長年にわたり御指導いただいた居合の先生が先日亡くなり、最後のお別れに行かせていただきました。
先生が私たちに常に説かれていたのは「心の居合」ということ。
続きを読むそのことを今ほど痛切に実感できる時というのは、なかったのではないでしょうか?
外出自粛と言われながらも感染防止策を講じた上でお散歩やジョギング等の運動が勧められているのは、
それだけではないと思います。
といったメンタル面でのコンディション維持の必要性が認識されているからではないでしょうか。
お散歩やジョギング、サイクリング、踊る、などなど色んな運動がある中で、
ヨガ・ピラティスは心と身体のコンディション維持にどんな風に役立つのか?
私なりの思うところを挙げさせていただくと、
姿勢・呼吸・柔軟性から「心の余裕」が生まれてくることかと思っています。
既に溜まったストレスを解消、発散させるのではなく(そういった効果ももちろんあります)、
そんな効果を私は実感します。
さまざまな運動の効果特性を把握して、この状況でやれることを見出して、
心の余裕を持ち続けていただきたいと願います。
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こうして緊急事態などと宣言されて思い出したことがあります。
それは2011年6月、私がまだSeed Trainingを開業する以前、カナダで大きな暴動事件に巻き込まれた話です。
暴動と感染症のパンデミックという違いこそあれ「不測の事態」という点では共通しているように思われたからです。
アイスホッケーのリーグ決勝戦で地元チームが散々に負けてしまったことが原因でPVに来ていた人たちの一部が暴徒化、街の中心部で大規模な暴動に発展しました。その時、たまたま私も所用があってその場に居合わせたのです。
近隣店舗の破壊や略奪、パトカーはじめ車輌の放火、ゴミ箱等への放火、刺傷事件の発生や催涙弾の投下など、街はあっという間にテレビで見た内戦下の街のような状況を呈しました。
暴徒でない一般市民も完全にパニック状態で、みんなが走り出せば訳もわからずとにかく同じ方向へと逃げ惑います。その途中で転ぶ人もいますが、その人を押しのけて、あるいは踏み越えて我先にと逃げる人たち。
走るんじゃない、年寄りがいるんだ!と怒り叫ぶ人もいましたが、誰もそんなこと聞きません。
暴徒は勢い付いてさらに破壊するし、石やら即席の火炎瓶やらも投げます。足下は割れたガラスが一面に、上からも横からも、そして足下と、全ての方向からいつ何が襲ってくるか全くわからない状態でした。
そんな状況でしたが、師匠によるヨガの指導のおかげか私は割と落ち着いて見ることができていました。
人々が逃げ惑い始めた瞬間、その流れの中から直ぐに抜けて通りの端の物陰に回り込みました。
そこから、大通りではない細い通り、裏道ならそこまで酷い状態ではないと推測して向かうとそれも正解で火の手もガラスも無いいつも通りの道。
さらに単独行動であることからピリピリムードの警官隊の目にも止まらないように行動。
最終的には全く安全なルートで脱出し、呑気に晩ごはんを食べて帰宅することが出来ました。
この時の体験は、
という私なりの緊急事態への対応方法を形作るきっかけとなったと思います。
特に、どうすれば助かるかを導き出せる感覚を研ぎ澄ますことは重要であると思います。
今の状況に置き換えて考えてみても、この点は国や都道府県、テレビやインターネット等の情報や指示ではなく自分の感覚で何とかしたいものです。
それができると「みんな」の流れから抜け出せます。「みんな」の中で訳もわからず外からの沢山の情報や指示に振り回されるほど、不安で落ち着かないことはないのではないでしょうか。
私はこのような心構えの基盤をヨガや武道で作ってもらいました。
もしこういった心構えを必要と感じられる方にレッスンを通して何かをシェアできるとしたら、何より嬉しいことと言えるかもしれません。
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不要な繋がりを切り、ただただ我慢の自粛ではないステイホーム(これは重要!)が確立してくると、ステイホームの時間がそのままヨガで最も本質的な問いに向き合える時間になります。
前回の記事で紹介した不要な情報、人との繋がりを整理すると、
周りの意見、空気は届かなくなります。
仮に届いたとしても、環境の調った井戸の中で心身を調えることを怠らなければ、何も影響を受けることはありません。
ぜひご自身の心の中の「こうするべき、しなければ」という固定観念も取り除いて、真っさらな心、魂と向き合うことを試みていただきたいと思います。
アーサナで身体をほぐして、楽に座って目を閉じて、ゆっくりした呼吸で瞑想してみましょう。
国、会社、世間、家族から求められる義務ではなく、
「宿命」と呼んでもいいかもしれないあなた自身の務め、やりたいこと、
限りある一生、その中で本当にやりたいことがハッキリと悟れたならば、この自粛生活も決して無駄なものではなかったと思えるかも、しれませんね。
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自粛、ステイホーム等の窮屈な言葉を見たり聞いたりしない日がないここ最近、ただただ外出を”我慢”するだけのような暮らし方は避けたいところ。
私の場合、ヨガ・ピラティス、居合などで身体を動かすことは続けつつ、それ以上に増えたのが読書の時間。
本を読み、そこから印象に残ったことを自分なりに実践したりすることを楽しんでいます。
その中で個人的にお気に入りの吉川英治『宮本武蔵』の柳生一門が出る部分を読み返しました。
藩主の柳生一族を筆頭に武術の達人たちでひしめいていながら出世栄達を求めず、柳生谷で黙々と過ごす彼らを著者は「偉大な蛙(井の中の蛙の意味)」と表現します。
世の中が荒れ狂う乱世であっても、実力でのし上がれる下克上の世の中であっても、己の井戸の中で月を映し、落葉を浮かべながら、黙々と己の心身を涵養することに勤しんだ、と。
また、この小説を原作とした井上雄彦氏の漫画『バガボンド』では、当主・石舟斎が自らの名前とかけて「石舟はついに浮かばず!」と、水面の乱世に躍り出なかったために武術が完成し、それが無事守り抜いた領地と共に次世代に受け継がれることを喜ぶシーンがあります。
心から憧れる生き方です。
大海から離れた井戸を掘るには、あるいは水面から深く身を沈めるには、どうすればいいのか。
大海、水面との不要な繋がりを切ってしまえばいい。ということで、とりあえず以下を実行しました。
これだけでも随分と居心地のいい井戸が出来上がります。なかなかストレスフリーなステイホームです。
必要以上に情報が入って来たり、他人のストレスを聞かされたり、同調圧力を感じたり、そんなことが必要以上にステイホームのストレスを増大させてしまうのかもしれません。
今後再びスタジオにお越しいただくお客様には、安心してご自身と向かい合っていただける井戸をご用意しておきたいと思っています。
皆さま、どうぞご自愛専一に。
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