太田ゆきのぶ」カテゴリーアーカイブ

ロボットと人間とわたし

最近、近い将来ロボット技術が更に発展して、あらゆる場面でロボット化が進んで、人間の仕事が減る、なくなる、かもしれない的な話を見たり聞いたりすることが少しずつ増えてきました。

この手の話題に関して論じられるのは、ロボット化に賛成or反対の議論が多いようですが、少し大きな範囲でこのトピックを捉えてみると、こんなことを考える良い機会にはならないでしょうか?

  • 良い学校、良い会社、安定した仕事ってなに?
  • 仕事って、はたらくってなに?

 

  • ロボット、機械ってなにができるの?
  • 人間にしか出来ない事ってなに?
  • わたしって、なにもの?

よかったら、皆さんもこの問い、少し考えてみて下さい。

ただ筋肉をつけたり、体重を落としたり、
そういう管理はロボット、機械が正確にやってくれるかもしれません。

でも、

安らぎ静けさは伝えられるでしょうか?
繊細な意識身体感覚をロボットや機械が研ぎ澄ましてくれるでしょうか?

・・・

ロボットは、ロボットなりの目的をもって作られました。

なので、私はロボットを否定したり排除したりするつもりはありません。

ですが、ロボットが目的をもって作られたのと同様、人間も、私たち一人一人も、何らかの目的があって生まれたのだと、私は思います。

私はこのスタジオで、ロボットでも他の人でもない、私にできるヨガ・ピラティス、タイ古式マッサージの伝え方を、模索したいと思います。

願わくば、皆さんにとってもこのスタジオで身体を動かして、心身と向き合う時間が、「人間」である「わたし」の「目的」に気づくきっかけとなれば幸いです。

sv10s

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内視鏡で自分の身体の内側と対面した話

ヨガではよく「自分の身体と向き合う」という言い方をしますが、先日、ヨガではなく、内視鏡を入れて自分の大腸と向き合う体験をすることができました。

内視鏡は素晴らしく解像度の高い映像で自分の大腸をくまなく映し出してくれました。

内側に残る水分だったり、腸壁っていうのでしょうか、そこの細かい血管に赤い血が通っている様子、それから蠕動運動(ぜんどううんどう)ですか?その動きのようなものもはっきりと、この目で見られました。

ああ、こいつが頑張ってくれているおかげで、食べたものがいつまでも残らずしっかり外に出てきてくれるんだ。

何とありがたいことか。。。

この大腸さんのためにも、脂肪や塩分の過剰な食べ物は摂らないようにしよう、機能がパンクしてしまうような暴飲暴食はやめよう、

自分の身体なのに可笑しなことを、と思われるかもしれませんが、私はこの目で大腸の様子、その活動を映像で見た時、これまでにないくらい大腸さんに対する心の底からの感謝と、彼に対する責任のようなものを感じました。

ヨガをしていると、どうしても関心が東洋医学や自然療法的なものに向きがちですが、現代医学の有する技術も非常に素晴らしいものです。

私は今回の体験が、自身のヨガ的ライフスタイル(特に食生活の面で)や瞑想の深化をもたらすものになると感じています。

ちなみに、既に当スタジオにお越しいただいている皆様はご存知のことと思いますが、念のために申し上げておくと、ケガや病気をヨガやピラティスで治療することはできません。ケガや病気の場合は、ヨガ・ピラティススタジオではなくまずは病院へ。

一心にヨガ・ピラティスに励んで来られた方ほど、現代医学の優れた技術や知識から、予想外の収穫を得ていただけるのではと思います。

それから、、、私の体のほうは大丈夫ですので、その点はご心配なく。

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ウロチョロするインストラクターの使い方

ある程度の期間レッスンを受けていただくと、エクササイズやアーサナの名前、口頭での簡単な説明だけで皆様に自然と動いていただけるようになってきます。

そうなると、Seed Trainingではヨガでもピラティスでもインストラクターの私のする事といえばレッスン中、一生懸命動いていただいている皆様の回りをウロチョロする事がメインになってきます。

前からジッと見つめ、左右に回り、背後に回り込み、時には斜め45度、という具合に。

そしてその時の必要に応じて修正の為の指示をしたり、直接サポートや補正を行ったりさせていただいています。

この私の動きを「うわ、チェックされてる。」とプレッシャーとして感じてしまわれるかもしれません。

ですが、この動きには実はヨガにもピラティスにも大切な意味を込めているつもりでいます。

それは、ウロチョロする私の視点、そこから出される修正や補正の指示を、自分の視点、自分の声としてお持ちいただけるようになって欲しい、という意味です。

つまり、動きながら

  • 動いている自分の全身を360度全方位から自分で見つめる視点を持ち
  • よりよい動きに必要な気づきを自分で得る

ことができるようになって欲しい、ということです。

単にウロチョロしているワケではなかったのですね。

レッスン中はどうか、私がどの辺りに立っていたのか、そこから何を指摘したのか、そういったところも少しずつ憶えていっていただけると嬉しく思います。

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沢庵和尚に出会う旅〜不動智神妙録リプライズ

お休みをいただいた折、出石に日帰りで行って来ました。

出石は私が尊敬する禅僧・沢庵和尚の出身地。

沢庵和尚所縁の宗鏡寺(すきょうじ)というお寺があって、そこで沢庵和尚の手植えの椿、造ったお庭、隠棲した投淵軒を見学し、お墓をお参りして、当地でしか味わえない沢庵和尚の人となりに触れて来ました。

随分前に沢庵和尚の著書「不動智神妙録」についての記事を書きましたが、今回の訪問を機に、出来る限り現代語訳に頼らず原文のままで再読してみました。

やっぱり、珠玉の教えに満ちています。

  • 葉ひとつに目をかけずして、一本の木に何心もなく打ち向かひ候へば、数多の葉残らず目に見え候、葉一つに心をとられ候はば、残りの葉は見えず。
    • (葉ひとつに目を凝らすのではなく、一本の木に向かいなされば、数多の葉は残らず目に見えなさるでしょう、葉ひとつに心をとられなされば、残りの葉は見えません。)
  • 心を何処に置くべきぞ。我答へて曰く、何処にも置かねば、我身に一ぱいに行きわたりて、全体に延びひろごりてある程に、手の入る時は、手の用を叶へ。足の入る時は、足の用を叶へ。目の入る時は、目の用を叶へ。其入る所々に行きわたりてある程に、其入る所々の用を叶ふるなり。
    • (心を何処に置くべきでしょう。私が答えて言ったのは、何処にも置かねば、我身いっぱいに心が行きわたって、全体に延びひろがって心が存在します。そうなると手が必要な時は手が、足が必要な時は足が、目が必要な時は目が働きます。そんな風に必要な時に必要な所が働くようになるのです。)
  • 唯一所に止めぬ工夫、是れ皆修行なり。心をばいつこにもとめぬが、眼なり、肝要なり。いつこにも置かねば、いつこにもあるぞ。
    • 一つの事のみに心を止めない、とらわれない工夫、これが修行です。心を何処にも止めないことが肝要なのです。何処にも置かなければ、何処にでもあるのです)
  • 敬の字の心は、心の余所へ行くを引留めて遣るまい、遣れば乱るると思ひて、率度も油断なく心を引きつめて置く位に候是は当座、心を散らさぬ一旦の事なり。常に如是ありては不自由なる義なり
    • (心を余所に遣ってはいけない、遣れば乱れる!と思って少しの油断もなく心を引き止めておくのを「敬の字の心」と申します。これは、心を散らさないための当面の間の手段です。常にこのようであっては、不自由です)

私の蛇足な現代語訳もお付けしてしまいましたが、どうでしょうか、ヨガにもピラティスにも坐禅や瞑想にも、皆さんがなさるお稽古ごとやお仕事にも、そっくりそのまま当てはまりはしないでしょうか?

文書だけでもこの説得力、当時(江戸時代初期)直接会った民衆や大名、将軍、あらゆる階層の人々から絶大な帰依を受けたというのも納得、と個人的には思ったりします。

レッスンでは沢庵和尚のお言葉もお借りしつつ、今後とも心と身体の本質に触れるヨガ・ピラティスのひと時をお届けしたいと思います。

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マインドフルネスと食欲と

少し前、「食欲が激しく起こって来たとき、どうしますか?」という問いを受けました。

これは、マインドフルネス的にすごく良い問いをいただけたと思います。

食欲が激しく起こって来たとき、私が心がけていること、少しシェアさせていただきます。

ステップ1:その食欲、どこから?

私の感覚では、食欲は大きく分けて2つの出所があるように思います。

それは、

  • 身体が欲している食欲
  • 心や感覚(目、耳、鼻等)から「食べたい!」と思わせられている食欲

の2つです。食欲は大抵その2つのいずれか、あるいはその2つがその時々の割合でミックスして湧き起こって来るように、私の中では感じます。

食欲が起こって来たとき、「これは身体が欲しているのか、それとも何かを見たり匂いを嗅いだりしたことで起こって来た食欲なのか」まずはその食欲の正体を見極めるようにしています。

ステップ2:必要なら食べる、必要でないなら食べない

食欲の正体が見極められたら、次に、食べる食べないの判断をします。

判断基準は至ってシンプル。「必要なら食べる、必要でないなら食べない」です。

どんなケースが必要で、どんなケースが必要でないか、私なりの判断基準はこんな感じです。

  • 身体や頭の働きを維持するために必要→迷わず食べる
  • 心や感覚が欲しているだけ→不要、食べない
  • 身体が食事を欲してはいるが、目の前のスイーツも気になっている→身体に必要なものを選んで食べる(スイーツはまた今度)

などなど。

こうした判断をする時、自然と心の中には仏教の『五観の偈』(食事の心構え)の一つが思い浮かびます。

正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり

(健康を維持するための良薬として食事をいただきます)

この言葉のおかげで、私自身はここまでお話したような形で食欲に対してマインドフルになり、良薬となる飲食の選択をすることが可能となっていると、考えています。

よろしければぜひ、この五観の偈の言葉や私の食欲へのアプローチ方法、ご参考にしていただければ幸いです。

食欲が湧いて、財布の口が開いて、お口が開いて、食べ物が入って、、、

というルーティンが流れ作業的に完了してしまう前に、マインドフルになるきっかけとなりますように。

sv10s

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