長年にわたり御指導いただいた居合の先生が先日亡くなり、最後のお別れに行かせていただきました。
先生が私たちに常に説かれていたのは「心の居合」ということ。
- 目先の技の巧拙ではない剣
- 言葉や理屈でなく心で以って心に伝える
- 刀を持たずとも魂で行える居合
いちいちの説明はありませんでしたが、生前の先生の居合や立ち居振る舞いから得た私なりの「心の居合」の解釈は、そのような感じです。
身体や刀の理にかなった忠実で誠実な動作
見せつけない、飾らない、心の静まった動作
雨の中、私が遅れて来ることを感じ取って私一人のために道場に居残って下さり、稽古が始まると一言も発せず黙って私を見守り、時折鏡の端に絶妙に映る位置でそれとなく模範を見せてくださった日のこと
道場に来られなくなり、刀を抜くことが出来なくなっても、歩くこと、身体を動かすことを心がけ、最後まで精進を怠らなかったお姿
そして、棺に納められた先生の稽古着と袴が無言のうちに示す、その稽古と鍛錬の人生
お優しい先生だったので、会話は私の仕事の状況や両親の健康を気にかける内容が多く、居合についての論議はほぼありませんでした。
が、思い起こせばまさに心を以って「心の居合」をみっちり仕込まれていたように思います。
当Seed Trainingでも、とりわけヨガは心の持ち様を大切にするものです。
- ポーズの外見にとらわれ過ぎていないでしょうか?
- 理論や知識と実践のバランスが取れているでしょうか?
- スタジオに来れなくなったとしても、ご自分で練習を続ける習慣を保てるでしょうか?
もちろん私自身も先生のように以心伝心のレッスンができるように精進が必要ですが。
こんな時だからこそ、お互いに切磋琢磨しましょう。どうぞよろしくお願いいたします。
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