こうして緊急事態などと宣言されて思い出したことがあります。
それは2011年6月、私がまだSeed Trainingを開業する以前、カナダで大きな暴動事件に巻き込まれた話です。
暴動と感染症のパンデミックという違いこそあれ「不測の事態」という点では共通しているように思われたからです。
アイスホッケーのリーグ決勝戦で地元チームが散々に負けてしまったことが原因でPVに来ていた人たちの一部が暴徒化、街の中心部で大規模な暴動に発展しました。その時、たまたま私も所用があってその場に居合わせたのです。
近隣店舗の破壊や略奪、パトカーはじめ車輌の放火、ゴミ箱等への放火、刺傷事件の発生や催涙弾の投下など、街はあっという間にテレビで見た内戦下の街のような状況を呈しました。
暴徒でない一般市民も完全にパニック状態で、みんなが走り出せば訳もわからずとにかく同じ方向へと逃げ惑います。その途中で転ぶ人もいますが、その人を押しのけて、あるいは踏み越えて我先にと逃げる人たち。
走るんじゃない、年寄りがいるんだ!と怒り叫ぶ人もいましたが、誰もそんなこと聞きません。
暴徒は勢い付いてさらに破壊するし、石やら即席の火炎瓶やらも投げます。足下は割れたガラスが一面に、上からも横からも、そして足下と、全ての方向からいつ何が襲ってくるか全くわからない状態でした。
そんな状況でしたが、師匠によるヨガの指導のおかげか私は割と落ち着いて見ることができていました。
人々が逃げ惑い始めた瞬間、その流れの中から直ぐに抜けて通りの端の物陰に回り込みました。
そこから、大通りではない細い通り、裏道ならそこまで酷い状態ではないと推測して向かうとそれも正解で火の手もガラスも無いいつも通りの道。
さらに単独行動であることからピリピリムードの警官隊の目にも止まらないように行動。
最終的には全く安全なルートで脱出し、呑気に晩ごはんを食べて帰宅することが出来ました。
この時の体験は、
- 無闇に周りに流されない
- 状況を自分の全感覚で的確に把握する
- 日頃から環境、非常時の対処法を熟知しておく
という私なりの緊急事態への対応方法を形作るきっかけとなったと思います。
特に、どうすれば助かるかを導き出せる感覚を研ぎ澄ますことは重要であると思います。
今の状況に置き換えて考えてみても、この点は国や都道府県、テレビやインターネット等の情報や指示ではなく自分の感覚で何とかしたいものです。
それができると「みんな」の流れから抜け出せます。「みんな」の中で訳もわからず外からの沢山の情報や指示に振り回されるほど、不安で落ち着かないことはないのではないでしょうか。
私はこのような心構えの基盤をヨガや武道で作ってもらいました。
もしこういった心構えを必要と感じられる方にレッスンを通して何かをシェアできるとしたら、何より嬉しいことと言えるかもしれません。
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