禅の八百年
ボクが先日参加させていただいた建仁寺さんでの授戒会で見かけたポスターには、そのようなキャッチフレーズ(って呼んでいいのかな?)が書いてありました。
日本に禅を持ち込んだ栄西禅師没後八百年、ということでそのように書かれていたのだと思いますが、今、もう一度じっくりと「禅の八百年」に思いを馳せてみると、それはそっくりそのまま「京都の八百年」になるんじゃないか。
そんな感想を抱きました。
たとえば、、、
建仁寺さん以外にも、世界中の観光客を惹き付ける仏閣、金閣に銀閣、石庭で有名な龍安寺さん、嵐山の天龍寺さん、ねねの道の高台寺さん、一休さんや沢庵禅師で有名な大徳寺さんはいずれも禅のお寺です。
そして、そうしたお寺ではよくお茶席が設けられておりますが、お茶の文化もそのルーツは禅と繋がります(ちなみに建仁寺開山・栄西禅師はお茶を日本に広めた「茶祖」としても知られているそうです)。
お茶以外でも、料理やお菓子の素材そのものを活かした味付け、『自然』に見立てたプレゼンテーション方法も、禅と通ずるところがあるのではないか、とか。
もっと言えば、舞妓はんのをどり、西陣織のような一見華やかな文化も、それを支える日々の稽古や作法に、禅的な正確さ、厳しさがあるのではないか、とか。
そう考えると、京都という街そのものが『禅の都市』、禅の八百年はそのまま京都の八百年、とも言えるのではないかと。
もちろん禅が全て、とは言いませんが...今日、世界中の人を惹き付ける京都の文化というのは、それぞれが何らかの形、割合で禅と関り続ける中で磨き上げられて来たのではないでしょうか。
・・・
じつは、ヨガとピラティスもこの点で禅と似たところがあるんですよ(と、ボクは思っています)。
もちろん、ヨガやピラティスのスタジオが京都のお寺のように観光地になるワケではありませんし、舞妓はんのをどりのようになるワケでもありません。
京料理のような形で、カラダ(京料理でいう、素材ですね)本来の自然な動作で美しく、快適に動けるようになったり、
禅的な正確さ、厳しさが、華やかな文化を支える日々の稽古や作法となるように、ヨガ的生活が柔軟で、自由な発想やパフォーマンスを生み出したり、
といったカタチで、ボクはヨガやピラティスも京都における禅と同じように、ボクたちの日々の暮らしの土台と成り得る、と思っています。
八百年、とはいきませんが、、、
八十年、くらいはずっと付き合うココロとカラダです。
そのココロとカラダ、そしてそれらを通して生み出される、
行動、言葉、思い
それらの土台としてヨガ・ピラティスをとらえていただけましたら、そしてその実践のパートナーとしてSeed Trainingをお選びいただけましたら、無上の喜びです。
合掌
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