以前、ヨガやピラティスをやる時には、外から見た形としての完璧性よりも、自分の感覚で最も快適だと感じる事の出来る、完璧な快適性を求めることが大切だ、という記事を書いたことがありました(“快適”を求めて〜sthira sukham asanam〜)。
今日お話させていただくことも、それと関係する内容です。これは、今から約10年近く前、ボクが居合を習い始めた頃のお稽古での経験です。
当時のボクが念頭に置いていたこと、それは、先生や先輩方がされているのと全く同じような形を抜く、ということでした。
一つ一つの動作を注意深く、丁寧に、ゆっくりと...
少し聞いただけなら、それで良いのでは?何か問題でも?と思われるかもしれません。
でも、先生はそんな事をしなくてもいい、とおっしゃいました。
まだ若いモンが、そんな年寄りのような居合を抜いとったらアカン!
もっと大きく、元気よく抜け!
との指導をいただきました。そう、ボク以外の先輩方は皆、50歳を越える方々ばかりで、ボクとの間に親子程の年齢の差があったのです。もちろん、段位でも稽古年数でも大きな隔たりがありました。
その時、ボクはただただ先生や先輩のコピーに励むのではなく、年齢・キャリア等、自分の変化に応じて、それぞれの段階で必要な修行項目もまた変わってくる、ということを漠然と感じたものでした。
この教えは、その時その時の「ありのままの自分」というのを常に把握して、その上で最も適切な選択を、という風に解釈することも出来るかもしれません。
それが出来ている人やものは、端から見ても自然です。本人もきっと違和感なく快適な状態であるはずです。
反対に、「ありのままの自分」を失った存在に対しては、どうでしょう?これは私見ですが、たとえば極端に大人ぶった言動をする子役の子たちや、衣装を着せられて玉乗りだの火の輪くぐりだのする猛獣っていうのは、どうも「かわいい」とは思えません。むしろ「かわいそう」という気持ちの方が先に現れます。
ボクのかつての居合も、20に満たない若いのが年寄りのようなフニャフニャした居合を抜いていた、ということで、先生が哀れみの気持ちから直してくださったのかもしれません。
(この辺に、結果主義の弊害があるのかもしれませんね。子役さんの場合だと、もしかすると子どもらしい経験を何一つすることなく大人になることで早くに燃え尽きちゃったりするかもしれないし、自己を見失うアイデンティティーの喪失、ということもあるかもしれない。)
トレーニングにも同じ事が当てはまると言えるでしょう。例えば、
- ジュニアアスリートが大人顔負けのウェイトトレーニングにのめり込む
- ダイエットしたいからといって、体力や運動経験を考慮せずいきなりハードなサーキットトレーニングに飛び込む
- ヨガを始めたいといって、いきなり雑誌の表紙を飾るようなポーズに自分を追い込む
といったことは、前述の燃え尽きもそうだし、何より一生付き合って行く自分の体を傷つける結果にも繋がりかねません。
そうならないためにも、もし体のために、心のために、スポーツやヨガ・ピラティスのトレーニングを始めようとお考えの方で、具体的にその始め方についてお悩みであれば、ぜひ一度お近くのスポーツクラブやスタジオ、パーソナルトレーナーさんをお探しの上、ご相談される事をオススメします。
もちろん、阪神間エリアであれば、Seed Training(シードトレーニング)でよろしければいつでもご相談に乗らせていただきます。
マンツーマンの出張レッスンを通して、あなたのコンディション、そしてゴールに沿ったメニューをご提供します。
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