月別アーカイブ: 2012年4月

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今の自分に最も必要なものを

以前、ヨガやピラティスをやる時には、外から見た形としての完璧性よりも、自分の感覚で最も快適だと感じる事の出来る、完璧な快適性を求めることが大切だ、という記事を書いたことがありました(“快適”を求めて〜sthira sukham asanam〜)。

今日お話させていただくことも、それと関係する内容です。これは、今から約10年近く前、ボクが居合を習い始めた頃のお稽古での経験です。

当時のボクが念頭に置いていたこと、それは、先生や先輩方がされているのと全く同じような形を抜く、ということでした。

一つ一つの動作を注意深く、丁寧に、ゆっくりと...

少し聞いただけなら、それで良いのでは?何か問題でも?と思われるかもしれません。

でも、先生はそんな事をしなくてもいい、とおっしゃいました。

まだ若いモンが、そんな年寄りのような居合を抜いとったらアカン!

もっと大きく、元気よく抜け!

との指導をいただきました。そう、ボク以外の先輩方は皆、50歳を越える方々ばかりで、ボクとの間に親子程の年齢の差があったのです。もちろん、段位でも稽古年数でも大きな隔たりがありました。

その時、ボクはただただ先生や先輩のコピーに励むのではなく、年齢・キャリア等、自分の変化に応じて、それぞれの段階で必要な修行項目もまた変わってくる、ということを漠然と感じたものでした。

この教えは、その時その時の「ありのままの自分」というのを常に把握して、その上で最も適切な選択を、という風に解釈することも出来るかもしれません。

それが出来ている人やものは、端から見ても自然です。本人もきっと違和感なく快適な状態であるはずです。

反対に、「ありのままの自分」を失った存在に対しては、どうでしょう?これは私見ですが、たとえば極端に大人ぶった言動をする子役の子たちや、衣装を着せられて玉乗りだの火の輪くぐりだのする猛獣っていうのは、どうも「かわいい」とは思えません。むしろ「かわいそう」という気持ちの方が先に現れます。

ボクのかつての居合も、20に満たない若いのが年寄りのようなフニャフニャした居合を抜いていた、ということで、先生が哀れみの気持ちから直してくださったのかもしれません。

(この辺に、結果主義の弊害があるのかもしれませんね。子役さんの場合だと、もしかすると子どもらしい経験を何一つすることなく大人になることで早くに燃え尽きちゃったりするかもしれないし、自己を見失うアイデンティティーの喪失、ということもあるかもしれない。)

トレーニングにも同じ事が当てはまると言えるでしょう。例えば、

  • ジュニアアスリートが大人顔負けのウェイトトレーニングにのめり込む
  • ダイエットしたいからといって、体力や運動経験を考慮せずいきなりハードなサーキットトレーニングに飛び込む
  • ヨガを始めたいといって、いきなり雑誌の表紙を飾るようなポーズに自分を追い込む

といったことは、前述の燃え尽きもそうだし、何より一生付き合って行く自分の体を傷つける結果にも繋がりかねません。

そうならないためにも、もし体のために、心のために、スポーツやヨガ・ピラティスのトレーニングを始めようとお考えの方で、具体的にその始め方についてお悩みであれば、ぜひ一度お近くのスポーツクラブやスタジオ、パーソナルトレーナーさんをお探しの上、ご相談される事をオススメします。

もちろん、阪神間エリアであれば、Seed Training(シードトレーニング)でよろしければいつでもご相談に乗らせていただきます。

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マンツーマンの出張レッスンを通して、あなたのコンディション、そしてゴールに沿ったメニューをご提供します。

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体をスキャンするメディテーション

ボクのヨガのレッスンでは、まず最初にメディテーション(瞑想)を行うようにしています。

このメディテーションの目的、人それぞれだと思いますが、ボクの場合は、

  1. 呼吸のペースを整える(ゆっくり、深く、柔らかく)
  2. 体の余計な力みを取る

という目的でやるようにしています。

この2つをメディテーションで行う事によって、体の疲れ、淀みを発見し、その日のお稽古の目的を定めることができる、のです。

これが出来ると、一人でのヨガのお稽古(ポーズの)も、スタジオに通うのと同じくらい効果的なものにすることが可能です。

これはいわば「体をスキャンする」ようなもの。

この、体をスキャンするメディテーションのやり方と使い方、少しお話しさせていただきますね。

まずは座りましょう

まず座り方ですが、これは一定の間快適に座れる座り方で、なおかつ左右対称の座り方であればOK、というのがボクの考えです。

ヨガでは、スカーアーサナ(いわゆるあぐら)、シッダアーサナ(両踵を下腹部に引き寄せる座法)、パドマアーサナ(坐禅の結跏趺坐)のいずれかが考えられるでしょう。

正座もメディテーションに向いた座法だと言えるでしょう。

無理にマットの上に直接座るのではなく、股関節まわりや膝、腰が窮屈であればブランケットやブロックの上に腰を下ろすようにします。経験上、腰が落ち着かない限り、他の部分を冷静にスキャンすることは非常に困難です。

呼吸に最大限頼りましょう

座りの姿勢が整ったら、そこからのプロセスは最大限、呼吸に頼るようにします。

ゆっくりと、深く柔らかい呼吸を行いながら、鼻孔、喉、肩、胸、横隔膜、背中、お腹周り、、、というように体をくまなくスキャンしていきます。

そのプロセスで、息を吸う時、吐く時に動きの悪い箇所、苦しいと感じる箇所があれば、その部分のバランスを取り戻すことをその日のお稽古の目的にすることも、いいでしょう。

また、呼吸そのものの快不快でスキャンするだけでなく、息を吐く時に体の各部を少しずつ脱力させていって、なかなか抜けないガンコなコリやだるさを見つける、というのもあります。冒頭の2.の方法ですね。

以上がお稽古を始める前のSeed Training流ショートメディテーションのやり方と目的です。

大体、3分間ほどやると呼吸のペースも整うし、その日のコンディションを把握することも出来るはずです。

コンディションが把握できれば、あとは不調を改善するのに必要なメニューをピックアップして実践するだけ(適切なメニューをピックアップする知恵は、お近くのスタジオの先生方に教えていただくか、阪神間ならボクにご依頼いただけると幸いです)。

ボクの自分のお稽古では、メディテーションで把握したコンディションから、ヨガに限らずピラティスやフィットネストレーニングのメニューなんかを取り入れる日もあります。

いきなりクリアーにコンディションの把握が出来るようになる、とはいきませんが、一定期間諦めずに工夫して練習していただければ、どなたでも必ず出来るようになります。セルフコンディショニング、セルフヒーリング、自然治癒...そういったものをお求めの方には是非、チャレンジしていただきたいテクニックです。

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沢庵和尚の教えから考えるトレーニングの在り方

バガボンドでの沢庵和尚の味のある言葉の数々に心うたれて、ついにリアル沢庵和尚がお書きになった『不動智神妙録』に目を通しました。

この書簡は、沢庵和尚が柳生但馬守に宛てたもので、仏法の立場から剣を説き、剣に生きる姿勢を説いた「剣禅一致」を説くものとされています。

確かに、兵法家として、そして為政者としての立場にあった柳生家が経験したであろう立ち合いという実戦の場、政治という実戦の場を想定した、極めて実戦的な心の置き方が記されています。

また、そうした実戦的な心の置き方を実践できるようになるまでのプロセスの一端も、わずかではありますが極めて核心をついたところが述べられています。

この『不動智神妙録』が、トレーナーにとって、そして武道でもヨガでも、あるいはどんなスポーツでも芸術でも、一心にその道を進む人にとってどんな意味があるのか、ボクが感じられた範囲でちょこっとシェアさせていただきます。

<理想は千手観音の境地>
沢庵和尚は、心の理想の境地は千手観音のようであるべきだと言います。

一本一本の手に心を止めることなく、それぞれを自由自在に使いこなせること。

心をどこに置くべきか、どのように置くべきか、という事は一切考えずに、どこにも止めない。

そうすることで却って、心というものは全身にくまなく行き渡るのだ、と言います。

少し前にお話した、無心、というものの一形態と言う事もできるでしょうか。

ボクには、ピアニストが両手の指、そして足を使って自在に音楽を奏でる様子、ドラマーが一心不乱に、それでいて正確にビートを刻む様子はまさに千手観音のように思えるのですが、彼らは千手観音の境地で演奏されているのでしょうか。非常に気になるところです。

そして、やってはいけない事として、迷うこと、一つの事に気を取られることを挙げています。

ただし、この千手観音の境地はあくまで名人・達人の境地。そこに至るためには、そこに至るための修行方法が必要です。

<技を磨くこと、放心を求めること>
初心者、修行中のうちからいきなり心をどこにも止めないでいては、知らないうちに心は遥か彼方に遊びに行ってしまって二度とその道に帰って来なくなってしまいます。

そこで沢庵和尚は孟子から引用して、「放心を求めよ」と言います。

これは、その道から離れてしまわないように、心を常につなぎ止めておけ、という事です。

そして同時に、事(わざ)之修行をしっかりすることが初心者には肝要であることも説かれています。

事(わざ)というのは、技のこと。体の使い方を一つ一つ順を追って覚えることです。

体の一つ一つの部分を思い通りに使いこなせるようになってこそ、千手観音のように千の手をそれぞれバラバラに自由自在に使いこなせるようになるのだと言います。

これは、ピラティス等で体のパーツごとの動作練習をしてから全身のコーディネーショントレーニングに移る、というようなプロセスに通じているようにも思えます。いきなりコーディネーショントレーニングを始めても、十分に出来ない動作があれば、繋がりのある動作、意味のあるトレーニングにはなりませんよね。

また、書道の「真書・行書・草書」のプロセス、居合の基本形と本居合というのも当てはまるように思われます。

何にせよ、千手観音の境地に至るには、最初のうちは多少窮屈な思いはしなくてはならないようです。ですが、この放心をつなぎ止めている間にしっかりと技の修行を行い、そうした修行を通してその道を好きになることができれば、放し飼いにした犬猫がキチンと家に帰って来るように、放心をそのままにしたって決して失うことはない、と言います。

<ボクらの剣禅一致>
冒頭でもお話ししましたが、『不動智神妙録』は沢庵和尚が将軍家兵法指南役・柳生但馬守に宛てた「剣禅一致」を説く書簡です。

剣の柳生家に宛てた書簡だからこそ、剣と禅を重ねるように書かれたのだと、ボクは思います。

「剣」を柳生家の本分として、そして「禅」を人間として、天地の一員として歩むべき道として。

◯禅一致

この◯の中に、剣ではなくボクらが自分の本分、進むべき道と思うものを入れて(滑禅一致でもいいし、音禅一致、踊禅一致とかもあると思います)、千手観音の境地を目指して歩んで行く姿勢が、ボクらの進む道、そのトレーニングを有意義なものにしてくれるものと思うのですが、いかがでしょうか?

合掌

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